劉備が諸葛亮と出会っていなくても蜀は十分に戦えた?龐統中心の劉備軍が荊州と益州を早々に攻略する「電撃侵攻作戦」シナリオ

2025年12月20日


 

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北方謙三風ハードボイルドな豪傑(曹操・劉備・孫堅)

 

三国志といえば、魏呉蜀という三つの国が覇を競い合い、あまたの英雄豪傑たちが、それぞれの理想をかかげてしのぎを削った大河ドラマ!

 

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

特に、後年編纂された物語文学である『三国志演義』は、劉備玄徳という君主と、諸葛亮孔明というそのよき補佐役が、小勢力からいかに蜀という国を建国し、天下まであと一歩のところまで迫れたか、という成長物語が軸となっています。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

ただし、今ではよく知られている通り、『三国志演義』の主役である劉備と諸葛亮は、けっきょく天下を取る夢は果たせませんでした。

 

蜀の姜維

 

そうはいっても、荊州の一角から、中国の天下を三分する勢力のひとつ、「蜀」という国を立ち上げたことだけでも、十分に凄いことですが。ところで、ここでまた、あえて実際の三国志演義とは違う人物たちが活躍できるような、少し変わったイフ考察を行ってみたいと思います。

 

三顧の礼 劉備、関羽、張飛

 

劉備玄徳は、有名な「三顧の礼」のエピソードを経て、諸葛亮孔明と出会うのですが、もし、この出会いが、なかったとしたら?その世界線での劉備軍は、そもそも、蜀建国までたどり着けるのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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意外?諸葛亮が陣営に入らずとも劉備軍はかなり戦えた!

劉表

 

まず実際の時間軸を再整理しましょう!劉備玄徳が、諸葛亮孔明に出会う直前、彼は荊州の一角で小さな勢力を養っていました。荊州の領主は、劉表

 

 

劉表死す

 

 

この劉表は、劉備に荊州を譲ろうという意思すらあったようなのですが、天下の評判を重視する劉備はその誘いを断ります。それゆえに、後年、曹操軍が南下してきたとき、劉備は孫権軍の陣営に逃げ込まざるをえない状況に追い詰められました。ですが、この荊州という土地は、実は人材の宝庫。

 

 

龐統

 

 

諸葛亮孔明が、臥竜と呼ばれていたのに対して、龐統は、鳳雛という名で、その才能を称賛されていました。つまり、諸葛亮孔明と並び称される人材として、荊州には龐統が住んでいたのです!となると、こう考えられないでしょうか?

 

策略が得意な龐統

 

 

諸葛亮孔明がいなくても、この、龐統という人物を、メインの軍師として、劉備が早い段階に迎え入れていれば、諸葛亮孔明に匹敵するような活躍を、龐統がしてくれたのではないでしょうか。龐統中心の組織にすることで、諸葛亮との出会いがない劉備も、かなり戦える組織を作れたのではないでしょうか?

 

関連記事:正史の龐統ってどんな仕事をしていたの?

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諸葛亮

 

 

諸葛亮と龐統のタイプの違いをここで整理

連環の計を編み出した龐統

 

そもそも龐統とはどのようなタイプの軍師だったのかを、実際の『三国志演義』での龐統の活躍を思い出しながら整理してみましょう。劉備と龐統との出会いは、劉備と諸葛亮との出会いよりもずいぶん後、有名な赤壁の戦いが終わった後のこととなります。

 

龐統と的盧

 

そして劉備は、諸葛亮を荊州に残し、益州攻略の際には龐統を従えました。残念ながら龐統は、この益州攻略戦の途中、「鳳雛」というあだ名の彼にとっては運命的に不吉な地名、「落鳳坡」という土地で非業の死を遂げてしまうのですが。それゆえ、龐統が実際に劉備の下で働いた期間はとても少ないのですが、この期間だけでも、龐統が諸葛亮とはまた違ったタイプの軍師であったことがわかります。

 

的盧に乗る龐統

 

すなわち、諸葛亮が慎重派であり、軍事のみならず、内政や外交のバランスにも気を配って、諸事ぬかりなく地盤を固めながら進むのに対して、龐統はかなり迅速な攻撃派、地盤固めよりも、益州乗っ取りのような、大胆な攻撃作戦の時に、劉備から重宝されました。

 

進軍する兵士b(モブ用)

 

そして侵攻に際しては、かなりエグい策略や工作も仕掛けるところがあり、人心掌握に気を配って無理な争いを避ける傾向の諸葛亮とは違う印象です。

 

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三国志ライフ

 

 

荊州での「逃走劇」がそもそも発生しない世界線

行軍する兵士達b(モブ)

 

益州攻略戦で、そのような「速攻重視」の傾向を見せた龐統。劉備が諸葛亮と出会わず、かつ、早い段階でこの龐統をこそナンバーツーにしていたら、三国志はどうなっていたでしょうか?まず考えられるのは、龐統は曹操軍が南下してくるよりも先に荊州・益州を迅速に劉備軍が抑えてしまうという、「超速攻での三国鼎立戦略」を提言したのではないでしょうか。

 

三国志演義_書類

 

つまり、実際の三国志演義では、劉備は劉表から荊州を奪うことをためらい、それゆえに曹操軍の南下に押されて孫権軍に逃げ込むことになりますが、早いうちから龐統が劉備軍に入っていた場合、劉備の許可を待たずに、龐統がさっさと謀略をめぐらして劉表一家を滅亡に追い込み、劉備に荊州を取らせたのではないか、ということです。

 

行軍する兵士達a(モブ)

 

なんと、曹操軍が南下してくる前に、劉備が劉表から荊州全域を奪取しており、万全の軍事力をもって防衛にあたれるシナリオ!これでは、そもそも赤壁の戦いが起こりません!

 

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曹操孟徳

 

 

 龐統は益州をも迅速に落とす「電撃侵攻作戦」を提案する? 

的盧に乗る龐統

 

それだけではありません。龐統はおそらく、曹操軍が南下してくるよりも先に、超速攻で益州を侵攻し、魏や呉よりも先に、「蜀」の建国宣言をする戦略を提案したかもしれません。

赤壁の戦い

 

赤壁の戦いが起こるよりも早い段階で、龐統主導による、蜀への電撃侵攻作戦!これが成功すれば、赤壁の戦いをすっとばして、早々に「三国鼎立」時代が訪れていたかもしれません。

 

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赤壁の戦い

  

 

まとめ:しかし龐統はけっきょく「落鳳坡」で早すぎる死を迎える

龐統した勝利

 

劉備が諸葛亮と出会わないこの世界線では、龐統こそが劉備の懐刀として、史実よりもかなりハイペースで、荊州と益州を占領する戦略が採用されました。ただしこのシナリオには、とんでもなく劉備軍にとって危険な未来が待っています。

 

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三顧の礼特集バナー

 

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

龐統は、益州に向かう途中、彼にとって不吉な地名、「落鳳坡」で戦死することが運命づけられているのです!せっかく電撃作戦で蜀を取りに行ったのに、いちばん肝心なところで龐統は結局、落鳳坡に散ってしまう!このシナリオでは蜀の建国は早まりますが、そのかわり、その滅亡も早いかもしれません。

 

龐統と孔明を手に入れた劉備

 

とはいえ、諸葛亮がいなくても、龐統がかなりの才腕を中国史に刻み付けるという、この「電撃侵攻作戦」シナリオ。龐統が諸葛亮とはまた違うタイプの「天才軍師」として大暴れする面白さがあるかもと思いましたが、いかがでしょうか?

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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