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キングダム890話展開予想|『史記』が伝える匈奴とは。子どもは羊に乗って弓を引く
先にひとつだけ断っておきます。ここで紹介する匈奴の姿は、李牧の時代から100年以上あとの漢の時代に、司馬遷が『史記』の匈奴列伝に書き残したものです。李牧が戦った相手が、のちの匈奴とまったく同じ集団だったかどうかは、断定できません。そのうえで、『史記』が伝える匈奴を見ていきましょう。
『史記』によれば、匈奴は家畜とともに水と草を追って移り住む人たちでした。子どもは羊に乗って、弓で鳥やネズミを射ます。少し大きくなるとキツネやウサギ。三輪車の代わりが羊、というわけです。弓を引ける力のある男は、みな武装した騎兵になったと書かれています。
戦い方も独特です。得になれば進み、損になれば退く。逃げることを恥としない、と。一人ひとりが自分の利益を追い、おとりで敵をおびき出すのがうまい、とも書かれています。暦との付き合い方も面白いところ。戦を始めるときは星と月を見て、月が満ちれば攻め、欠ければ退きました。秋、馬が肥えるころには蹛林という場所に集まり、人と家畜の数を数えています。
889話で描かれた、どの集団がいつ来るか分からない騎馬の民。その姿は、こうした記録と重なって見えます。
キングダム890話予想考察|史実の李牧の守り。匈奴は攻めてきても何も得られなかった
『史記』の李牧伝によれば、李牧は代と雁門に常駐し、のろしと間者を整えて匈奴に備えていました。兵に約束させたのは、匈奴が略奪に来たらすぐ守りに入ること。捕虜を取ろうとする者は斬る、という決まりです。889話の「戦った者は斬首」と比べると、史実で禁じられていたのは「捕虜を取ること」でした。
匈奴は、そのあいだも攻めてきています。それでも趙の側は、のろしが上がるたびに守りへ。李牧がいったん外されて戻ってきたあと、『史記』には「匈奴は数年間、何も得られなかった」とあります。匈奴の側から見れば、張り切って朝から並んだのに店のシャッターが閉まっていた、という日が何年も続いたわけです。
前のページで読んだとは思いますが、匈奴の戦の取り分は、奪ったものがそのまま自分のものになる決まりでした。奪うものがなければ、取り分もゼロ。
キングダム890話予想展開|李牧はおとりで単于を誘い出した。十余万騎を破った大勝
『史記』によれば、李牧は数年かけて兵を鍛え、兵たちが「一度でいいから戦わせてくれ」と願うようになるまで待ちました。
そのうえで、家畜を大いに放ち、人々を野に出しました。匈奴が少し入ってくると、負けたふりをして数千人を置き去りに。それを聞いた単于が大軍で攻め込んできたところを、李牧は奇陣を敷き、左右の翼を広げて迎え撃ちました。破った匈奴は十余万騎。これは『史記』に記された数字です。その後十余年、匈奴は趙の国境の城に近づかなかったとされています。
おとりで敵をおびき出すのがうまいのは、本来は匈奴のほう。李牧の大勝は、そのおとりを、さらに大きく仕掛けて勝ったように見えます。並べると、似ているんですよね。890話でいきなり大勝まで進むとは思っていません。ただ、不戦逃避は、この大勝までの長い準備の第一歩として描かれるのではないか、と思うのです。
回想が長く続けば、牢の中の河了貂の朝は先に延びるばかり。そしてカイネが、この命令に黙って従うとも思えません。
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