歴史の偉人って、どんな人だったんだろうか。そんなことを考えたことはないでしょうか?
実際に生きたその人には既に会うことはできません、しかし、私たちは歴史の断片からその人物に触れることはできるのです。そこで今回は、かの有名な人物、諸葛亮の性格について触れてみたいと思います。
天才で神業でビームでパリピで?色々な諸葛亮観がありますが、正史から読み取れる諸葛亮はどんな性格なんでしょうか?
この記事の目次
諸葛亮の性格と特徴!正史の陳寿の評から見てみる
まずは諸葛亮の性格と特徴を、近い時代を生きて、尚且つ正史三国志の著者である陳寿の評から見ていきましょう。
陳寿は諸葛亮について「時代にあった政策、公正な政治を行い、どのような小さい善でも賞さないということはなく、どのような小さい悪でも罰さないということはなかった、賞罰は誰から見ても公平であり、このため、みな諸葛亮を畏れつつも愛した(要約)」と評があります。これから見ると諸葛亮は公平であり、公正であり、また小さなことでもしっかりと見ていて、判断する人物であったことが伺えますね。
諸葛亮の性格!裴松之はどう語っているか?
では次に、裴松之の評を見ていきましょう。
裴松之の諸葛亮の評価で面白いものがあります。「蜀記」によると「諸葛亮は刑罰に峻厳で、民衆をむごく扱ったので皆怨みと嘆きを抱き、法正に諌められた」という記述があるのですが、これに対して裴松之は
「当時、諸葛亮は益州の牧を兼任しておらず、恩賞や刑罰をできるわけがない」「諸葛亮のつつましやかで忠義な生き方からみて、そんなことはほとんどありえないことである!!」といういつもながら熱い批評を書いています。裴松之から見ても、諸葛亮は公明正大な人物だったようですね。
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出師表にもにじみ出る、諸葛亮の性格
陳寿の評、そして裴松之の評を並べてみると、諸葛亮の性格というのは公明正大であり、何よりも賞罰についてしっかりと、誰から見てもはっきりと信頼できる対応をしていたことが分かります。これが当時の諸葛亮の性格のデフォルト、と言ったところでしょうか。
この諸葛亮の性格は、有名な出師表からも読み取ることができるのです。出師表にて諸葛亮はかつての主君への恩、忠義、劉禅への戒めなどの他に、賞罰は公平にして人によって違いが出てはいけないと書いています。
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諸葛亮が内政に優れていた訳
ここで注目していきたいのが、諸葛亮は軍事にも優れていたが、最も才能を発揮したのは政治、内政面だということ。諸葛亮は賞罰について、それはもう細かく気を割いていたことが読み取れますが、その性格が諸葛亮を内政に優れているという評価を押し上げたのだと思います。
泣いて馬謖を斬る、という逸話にもにじみ出ていますが、諸葛亮はそれが自分であっても、自分が可愛がっていた人物であっても、きちんと賞罰を与えました。それこそが、諸葛亮の政治に対する、こうあるべき、という姿を映していたのだと分かります。
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諸葛亮の人柄、人々から畏れつつも愛された
また、陳寿の評の繰り返しになりますが
「賞罰は誰から見ても公平であり、このため、みな諸葛亮を畏れつつも愛した」
という一文から、諸葛亮の人柄が読み取れます。諸葛亮は、畏れられつつ、愛されていた、愛されていたけれど、同時に畏れられてもいたのです。政治で重要なのは、時に畏れられること。畏れも持って人々に相対することができる、決してただ慕われるだけではなかった彼の人柄が読み取れるのではないでしょうか。
諸葛亮孔明、その人柄とは?
さて敢えて諸葛亮孔明と姓も名も字も並べてみましたが。孔明の孔とは「向こうまで突き抜けたところ」という意味があります。向こうまで突き抜けて、明るい。正に公明正大、それを人々に分かりやすく知らしめている。それこそが諸葛亮という人物の人柄だと思います。
誰しも、後世の人々も諸葛亮を公明正大と称する。それは諸葛亮がその生きざまの中で、何よりも大事にしていたから。その生き方を貫き通したからこそ、多くの人々がその人物を、ぶれることなく「そういった人だった」と思えるのではないでしょうか。
実はこんな一面もあった?諸葛亮と師匠のエピソード
さて最後に、ちょっととある民間伝承から諸葛亮とその師匠、司馬徽先生のお話を。
諸葛亮は司馬徽先生の授業が大好きでした。でも先生は時刻になるとぴったり鳴く鳥を飼っていて、その鳥が鳴くと授業が終わってしまいます。そこで諸葛亮、その鳥にこっそり餌を食べさせ、時間になっても鳴かないようにしたと言います。実はこの後、大目玉を喰らうんですけどね!
まだ若き頃にはこんな一面もあったかもしれない、諸葛亮のエピソードです。こんな悪戯をやっちゃう青年が、後の世では誰からも見ても公明正大に見える人格者になる……それもまた、好ではないでしょうか?
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三国志ライター センのひとりごと
因みに諸葛亮、賞には賞で、罰には罰でとはっきりしていましたが、罰を受けた人間がそれを悔い改めて頑張れば、また評価してくれるような懐の広さもあったようです。
これは蜀の李厳が、諸葛亮に咎められて左遷させられた先で諸葛亮の死を知り「諸葛亮が死んだのならばもう私が帰することは叶わないだろう」という話から読み取ることができます。
厳しくもあり、しかしもう一度頑張れば復帰委もできるかもしれない……そう思わせることで、人々からやる気まで奪わない。ある種、理想の上司のような存在であったのかもしれませんね、諸葛亮は。ちゃぷり。
参考:蜀書後主伝 諸葛亮伝