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曹操の圧巻の演説![潼関の戦いで韓遂を圧倒]

2024年2月10日


曹操と会談をする韓遂

 

潼関(どうかん)の戦いのハイライトシーンの一つが、韓遂(かんすい)曹操(そうそう)が馬上で言葉を交わす交馬語(こうばご)のシーンです。ここで曹操と韓遂は大昔の洛陽時代の思い出話をしますが、二人の会話を(いぶか)しんだ馬超は猜疑心(さいぎしん)を募らせ、それが賈詡(かく)の離間の計に引っ掛かる伏線になっています。

 

しかし、この交馬語、少なくとも二回あったようで、二回目は曹操のオンステージになっていたようです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本格的な会談は二回目以後に持ち越し

本格的な会談は二回目以後に持ち越し

 

現在の首脳会談でもそうですが、友好関係が築けていない国同士の会談は初回は簡単な意見交換に終わる場合が多いです。簡単な雑談をして相手の様子を窺い、二回目からは本格的な話に入る曹操と韓遂もそうだったようで、最初は30年前の洛陽の思い出話に終始し相手の腹を探り、本格的な会談は二回目に持ち越しました。それを馬超は親密そうな様子から韓遂の内通を疑いますが、これは外交の駆け引きに経験がない馬超の勇み足だったのでしょう。

 

 

曹操、(かぶ)きすぎを部下に諫められる

曹操を殴る荀彧

 

初回の韓遂との会談は、かなり型破りな親密ぶりだったようです。すなわち、護衛もほぼつけず、韓遂と曹操は並んで馬を歩かせて昔話に花を咲かせたようです。これに苦言を呈するような部下の話が魏書に出ています。曹操が後日に再度韓遂らと会談することに決まったが諸将が心配して言うには

 

 

「殿が韓遂と言葉を交わすなら、今回のように軽はずみではいけません。馬防柵を作って万が一に備えましょう」

 

 

曹操は、それに対してその通りだと思ったと書かれています。魏書を信じると、初回の韓遂との会見はありえない程無防備であり、馬超がこれをチャンスとして、曹操を捕らえようと考えたのも分かります。しかし、許楮(きょちょ)(にら)まれてビビり、何も出来なかったのは皆さん周知の通りです。

 

 

 

二度目の韓遂との交馬語は曹操オンステージだった

二度目の韓遂との交馬語は曹操オンステージだった

 

 

さて、二回目の韓遂との会見ですが、魏書によると、一回目とは比較にならない絢爛豪華なものになっています。曹操の周辺は馬防柵で覆われ、その中に招かれた韓遂等の一団は恭しく一礼したと書かれています。おまけに、秦胡(しんこ)(異民族)の将兵は、一目曹操を見ようと、馬防柵の周辺に取りつき、踏み重なったそうです。読者の皆さん、踏み重なるんですよ、ほとんどアイドル扱いです。

 

それを見た曹操が笑って語りかけるには、

 

 

「お前達、そんなに曹操が見たいのか?わしもお前達と同じ人間である目が四つあるわけでも口が二つあるわけでもないただ、少しばかり知恵がまわるだけぞ」

 

 

 

まさに曹操オンステージと化していますが、抜け目のない曹操はフル武装した鉄騎兵五千を整列させて十重の陣を敷かせ、その鎧兜が陽光に輝くさまは、異民族を畏怖(いふ)させるに十分だったようです。

 

 

 

曹操のパフォーマンスに韓遂の士気は挫かれた

曹操のパフォーマンスに韓遂の士気は挫かれた

 

二度目の会談の最初に韓遂が恭しく一礼したとあるのは、曹操に敬意を示している事もあるでしょうが、やはり馬超との立ち位置の違いを意味しているでしょう。馬超は曹操に叛けば馬騰(ばとう)と一族が殺される事を承知で(そむ)いたかなりの覚悟を持っての挙兵ですが、韓遂はそうではありません。馬超は和睦の条件として黄河の西の土地の割譲(かつじょう)を求め、それに対して人質を出す旨を提案して独立を求めますが韓遂はそうでもないようです。

 

長い事、漢王朝に叛いてきた韓遂ですが、独立して王朝を興す事もなく時機により老獪(ろうかい)に立ち回ります。どんな理由があれ、王を名乗れば帰順も許されずアウトという原則を踏まえカードを切らないわけです。或いは、曹操と友好を保つ事で自治権的なモノが存命中は認められるのではないか?と考えていたのかも知れません。それが二度目の会見でいよいよ強くなり、恭しく一礼してみせた実は、この辺りで韓遂は、ほぼ(くじ)けたのかも知れません。もっとも、韓遂の甘い期待は全くの幻想でしたけど

 

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

有名な賈詡の離間の計は、この後に発動される事になります。なんだか煮え切らない韓遂に馬超は苛立ちを覚え、元々、同床異夢(どうしょういむ)であった両者の溝はさらに深まっていき連合軍は崩壊へと向かっていくのです。

 

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韓遂(かんすい)とはどんな人?生涯の大半を反乱にささげた不屈の反骨心【前半】

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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