孫権・孫亮・孫休・孫皓の四代の皇帝に仕えた丁奉。今回は孫呉の重鎮・丁奉の能力値を数値化するとどれくらいになるのか。
正史三国志・呉書丁奉伝を参考にして、レンの独断と偏見で丁奉の能力値を数値化してみたいと思います。
丁奉の能力を三つに分けて数値化
今回は丁奉の能力値を三つを主軸にして数値化したいと思います。まず一つ目は丁奉の戦術的な能力を数値化。二つ目は丁奉の謀略力を数値化。そして三つ目は丁奉の性格を数値化。今回は上記で紹介した三つを数値化したいと思います。
丁奉の戦術眼は数値化するとどれくらい?
一つ目の丁奉の戦術眼を数値化するとどれくらいになるのか紹介したいと思います。まずは丁奉がどれほどの戦術眼を持っていたのか。正史三国志呉書・丁奉伝に記載されているエピソードから紹介したいと思います。
丁奉は孫権の時代に仕え、甘寧・陸遜などの諸将の下について各地の戦で活躍。孫権は丁奉の功績を認めて将軍の位を与えます。
魏は孫権死後、孫亮が皇帝になると諸葛誕などの諸将に大軍を与えて孫呉の領土・東興へ攻撃を仕掛けてきます。
孫亮は孫呉の丞相・諸葛恪に東興防衛を命令。諸葛恪は丁奉ら諸将を率いて魏軍を迎撃するべく出陣します。丁奉は諸葛恪の本隊から別れて、別働隊を率いて敵陣近くにまで接近するとそのまま奇襲攻撃を行います。魏軍は丁奉率いる孫呉の攻撃を受けて大損害を被り、撤退していくことになります。丁奉はこの戦いでの大活躍の他にも、諸葛誕が魏に反乱を起こした際、救援部隊を率いて出陣。丁奉は諸葛誕救援作戦で積極的に敵と戦い功績を残しています。これらのエピソードから丁奉の戦術眼を86にしたいと思います。
丁奉の謀略力を数値化するとどれくらいあるの??
丁奉の戦術眼は数値化するとレンの勝手な判断と偏見で、86にしてみました。では次に丁奉の謀略力は数値化するとどれくらいあるのでしょうか。丁奉は謀略にも秀でた才能を持っているので、謀略力を75にしたいと思います。本当に丁奉は謀略に秀でた才能を持っていたのでしょうか。孫休の家臣である張布は「丁奉は謀略に秀でている」と丁奉の謀略に秀でた才能を評価していますが、どの程度秀でてたのか紹介したいと思います。
孫休は皇帝に就任した際、孫呉の国をめちゃくちゃにした丞相・孫綝を抹殺しようと企み、張布へ相談。この時張布は丁奉が謀略に秀でた人物であると紹介します。
すると孫休は丁奉へ「孫綝を殺害したいと思っているのだがどうすれば出来ると思う」と相談します。すると丁奉は「丞相(孫綝)には多くの一族がいるため、孫呉の人々が私たちに味方するのは難しく、急いで孫綝殺害を実行すれば、失敗するかもしれません。
そこで私は祖先や神様を祀る祭りにやってきた孫綝を殺害するのがいいと思います。」と提案。孫休は丁奉の謀略を採用して、祖先や神様を祀る祭りにやってきた孫綝を殺害することに成功します。上記のエピソードから丁奉の謀略力を75にしたいと思います。
丁奉の性格を数値化してみた
丁奉の戦術眼・謀略力を数値化してきました。ここでは最後の一つ・丁奉の性格を数値化していきたいと思います。丁奉の性格は50にしたいと思います。なぜレンは丁奉の性格を50にしたのか。それは丁奉が功績を上って行くにつれて、だんだんと性格が悪くなっていったからです。
丁奉は孫権時代や孫亮時代には、一生懸命孫呉のために戦い功績を挙げていました。しかし丁奉は孫休時代から孫皓時代にかけて、孫呉の重鎮として高い官位を与えられるとだんだんと驕り高ぶって、他者を見下していたそうです。そのため丁奉の性格を数値化した場合、50にしてみました。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は丁奉の能力を三つ数値化して紹介してみました。丁奉は三国志の前半・群雄割拠時代に活躍してきた人物と見劣りしないくらいの武将だったと思っていますので、高い数値を配分させてもらいました。このように数値化することである程度の目安として数値化された武将の能力が分かるのではないのでしょうか。
■参考 正史三国志呉書・丁奉伝など
▼こちらもどうぞ