漫画やゲームをきっかけに三国志に興味を持つようになった。三国志演義を読んでみようと思うけど、たくさんの翻訳本があってどれがいいのか分からない!そんなあなたのために、主な翻訳本6種類を比較してみました。ぜひお好みに合うものを選んで下さい!
この記事の目次
井波律子さんの翻訳(2002年頃)
ちくま文庫の正史三国志の翻訳でおなじみの井波律子さんの翻訳。原文の講談調の息づかいを大切にしながらリズミカルに訳されています。張飛が劉備を呼ぶ時の「哥哥」という言葉を「兄貴」と訳している本が多いですが、井波さんは「哥哥(兄貴)」としています。
文語調の三国志演義の中で張飛のせりふだけ目立って口語調なのですが、その雰囲気を活かしたくて「哥哥(兄貴)」と訳されたのだと思います。劉備に賄賂を要求する悪徳監察官に張飛が腹を立てる場面を下に抜き出してみます。
さて、張飛はヤケ酒を数杯ひっかけると、馬に乗って督郵の宿舎の前を通りかかった。見ると五、六十人の老人が門の前でオイオイ声をあげて泣いている。張飛がわけを聞くと、老人たちは答えた。
「督郵さまは県の役人に無理強いして、劉公(劉備)に罪を着せようとしております。わしらはお願いにまいりましたが、中へ入れてくれず、反対に門番に叩き出されました」。張飛は激怒して、ドングリ眼をカッと見ひらき、バリバリ歯ぎしりして、転がるように鞍からおりると、ただちに宿舎に押し入った。
(『三国志演義(一)』講談社 2014年9月10日)
渡辺精一さんの翻訳(2000年頃)
講談社の『三国志人物事典』でおなじみの渡辺精一さんの翻訳。現代の日本語として違和感のないような訳し方を意識されているようです。軍事用語などがとても現代的です。固守持久作戦、指令本部、夜警、など。「プライド」なんていう外来語のカタカナ言葉も使われています。先ほど井波さんの訳を引用したのと同じ箇所を抜き出してみます。
さて、張飛は気がむしゃくしゃしてしかたないので、酒をあびるように飲み、馬に乗って監察官の泊まっている宿舎の前を通りかかった。ふと見ると、五、六十人の老人が宿舎の門前で泣きわめいている。
どうしたわけだと問うと、老人たちは、「監察官が県の役人に迫って、無理やり劉県尉を告発し、ひどい目にあわせようとしておいでです。わたくしどもは及ばずながら、嘆願をしにまいったのですが、門番に棒で叩き出されてしまいました」と答えた。
それを聞いて怒った張飛は、ただでさえ大きなグリグリ眼をさらに大きく見ひらき、鋼鉄のような歯をバリバリと噛みならして鞍から飛びおりると、ものすごい勢いで宿舎にはいっていった。
(『新訳 三国志 天の巻』講談社 2000年10月12日)
小川環樹さん/金田純一郎さんの翻訳(1988年頃)
1973年までに岩波文庫から出版された旧訳を1988年に改訂したものです。この翻訳本の最大の特徴は、現在のメジャーな三国志演義(毛宗崗本)でカットされてしまった古い三国志演義にあった逸話が巻末の訳注のところで読める点です。(諸葛亮が魏延を焼き殺そうとした話や、曹操が関羽に寿亭侯という役職を与えようとしたら関羽は辞退したが、役職名の頭に「漢」の一文字を加えると受けたという話)
巻末の訳注で語句などが詳しく説明されているので、詳しくなりたい人にはオススメです。文体としては、ちょっと文語調の講談調です。歴史物は現代っぽい口調じゃないほうがいい!という方にオススメ。
さて張飛は腹立ちまぎれのやけ酒をあおり、騎馬で宿舎の前を通り過ぎたとき、五、六十人の老人らが、門前で大声をあげて泣いているのが目にはいった。
張飛がそのわけをたずねると、老人らは答えて「督郵さまが県の吏員を無理強いして、玄徳さまに罪をきせようとしておりますので、わたくしどもが愁訴にまいりましたところ、中に入ることもかなわず、門番に打ちすえられて追い出されたのでございます」。
これを聞くなり、張飛は大いに立腹し、まるい眼を見ひらき、くろがねの牙をかみ砕かんばかり歯ぎしりして、ころげるように馬から下りると、ずかずかと宿舎に入り込んだ。
(『完訳 三国志(一)』岩波文庫1988年7月7日)
村上知行さんの翻訳(1968年頃)
村上知行さんは1899年生まれですが、世代を感じさせないみずみずしい翻訳です。この方は中国文学者ではなく、中国文学翻訳家、中国評論家です。語句の細かい意味よりも日本語としての流暢さを追求した素敵な訳です。
こちらでは張飛がむかっ腹に何杯かひっかけ、馬で宿舎の前をとおりかかった。見ると老人が五、六十人、門の前にあつまって泣いている。どうしたい? と聞いてみると、「督郵さまが役所の吏員をお責めです。劉県尉を罪人にしようってんで……。わしら、それで、そんなこたあおやめなすって、とお願いにあがりやしたが、お目にかかれるどころか、門番がたにひっぱたかれやしてね……」張飛がまっ黒焦げだ。大目玉をくるくる。歯をバリバリ。やにわに馬をおり、宿舎に駆けこんだ。
(『三国志(一)竜戦虎争の巻』 グーテンベルク21 2011/10発売
↑これは電子書籍ですが、他の出版社から紙の書籍も出ています)
立間祥介さんの翻訳(1958年頃)
この方は1928年生まれの中国文学者です。文体はちょっぴり文語調の講談調です。
さて張飛はやけ酒を何杯もあおり、馬に乗って督郵の宿舎の前を通りかかると、年寄連中が五、六十人、門前でわあわあ泣いている。わけを尋ねると、年寄たちが口々に訴えた。
「督郵が県のお役人を責めたて、劉さまにあらぬ罪を着せようとしているのでございます。わたくしどもがこうしてお許しを願いに上がったところ、中に入れてくれないばかりか、反対に門番に殴りちらされたのでございます」
張飛は大いに怒り、まるい顔をはりさけんばかりにむき、鋼のような歯をばりばりと噛みならして馬からまろび下りるや、宿舎に突き進み(以下略)
(『中国古典文学大系 第26巻 三国志演義(上)』平凡社 1968年1月6日)
湖南文山さんの翻訳(江戸時代。元禄2~5年(1689~1692)刊)
三国志演義の初めての日本語完訳本です。『通俗三国志』という題名になっています。これまで挙げた翻訳本がすべて三国志演義の毛宗崗本という版本を底本にしているのに対し、この『通俗三国志』はそれより古い李卓吾本という版本の翻訳本です。
吉川英治さんの小説『三国志』はこれを参照しながら書かれているので、毛宗崗本にはない魏延焼殺作戦や漢寿亭侯のエピソードが入っています。
張飛は酒を飲て後只一人馬に打のり館門の前を過けるに年老たる百姓共五六十人泣居たりければ如何なる故ぞと問に答て曰督郵賄を取ん為に県吏を召て訴状を書せ天子に奏して罪なきに玄徳を害せんとす
我等ここに来り其事を告て玄徳の恩徳を露さんとすれば門より内に入こと能ず却て散々に打出されたり張飛これを聞て大に怒り牙を噛て馬より飛おり直ちに館門に走り入(以下略)
(『通俗三国志』 信濃出版 明治17-18 国立国会図書館デジタルコレクションから抜粋。
原本のカタカナをひらがなに書き換え、適宜濁点を加えました)
引用した信濃出版のものは活字でしたが、google検索で出てきた広島大学図書室の蔵書『絵本通俗三国志』の画像では天保年間の版本を見ることができました。ちょっぴり和風の挿絵や、変体仮名(学校で習うのと違う異体仮名)が使用されている文面が面白いです。
三国志ライター よかミカンの独り言
私のイチオシは 小川環樹さん/金田純一郎さんの岩波文庫です。注釈が充実しているところ、吉川英治三国志に通じる古い版本の内容について知ることができるところがオススメポイントです。あと、個人的には、文体が現代っぽくないところが格調高くていいかな、と思っています。立間祥介さんも文語っぽいのですが、わずかな差でちょっとしっくりこない時があります。こういう感覚はごく個人的なものですね。
それぞれ個性的な翻訳本、ぜひお好みに合うものを選んで下さい!
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