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劉備の野望?「国を取れ」という発言の背後にある[思惑]

2024年6月4日


劉備の臨終に立ち会う孔明

 

(しょく)の初代皇帝劉備(りゅうび)()への遠征に失敗したあと白帝城(はくていじょう)に入り、そのまま都へ戻ることなく西暦223年に亡くなりました。その際、重臣の諸葛亮(しょかつりょう)にこう遺言しています。

 

馬謖に重要な仕事を任せるなと孔明に伝えて臨終を迎える劉備

 

「君の才は曹丕(そうひ)(魏の文帝)の十倍だ。きっと国を安んじ、最後には大事を成就させることだろう。もし我が子が補佐するに足る人物ならば、これを補佐してやってほしい。もし才がないならば、君が国を取れ」これは諸葛亮に国を奪いづらくさせるための牽制であるとするのが一般的な解釈ですが、私はへそ曲がりなので、あえて言葉通りに解釈します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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国を奪いづらくさせるための牽制とは?

劉備

 

心の美しい人には、先ほどの「国を奪いづらくさせるための牽制」という意味がピンとこないかもしれません。「一般的な解釈」とさらっと書いちまいましたが、どんな世界の一般論なんだ、って感じですよね。劉備が遺言を伝えた際、まわりには大勢の人がいたはずですが、そんな場で面と向かって「君が国を取れ」と言われたら、“ハイではありがたく頂戴します”とは返事しづらいです。口先だけでも“めっそうもない”と言わざるを得ません。劉備の遺言をうけた諸葛亮は、こう返事しています。

 

孔明

 

「臣は敢えて股肱(ここう)の力を()くし、忠貞の節を(あらわ)し、これに継ぐに死を以てす」劉備の遺言は、諸葛亮からこういう発言を引き出すための振りだとする見方が、「国を奪いづらくさせるための牽制」説です。みんなちゃんと聞いてたよな、亮くん野心ないってよ、とはっきりさせておきたかったのだろうということです。

 

 

言葉通りの解釈

よかミカン

 

私はあえて牽制説はとらず、言葉通りに解釈します。息子が後を継いでもその地位を守っていくことは難しいだろうな~と心配して、息子の苦労をおもんぱかって、みんな無理しなくていいんだぞ、国なんか取れるやつが取ればいいよ、というつもりだったのではないでしょうか。ブラック三国志ライターらしからぬ直球すぎる解釈で気持ちが悪いですが。私のへそは大抵180度しか回りませんが、今回は360度回ってもとにもどりました。

 

息子に後を継がせなかった陶謙

陶謙

 

かつて劉備が一介の傭兵隊長だった頃、徐州をおさえていた群雄の陶謙(とうけん)が臨終のさい、自分の息子に徐州を継がせようとはせず、劉備に徐州を譲ったことがあります。劉備はうっかり徐州を受け取ったあげく、まわりじゅうからボッコボコにされて一家離散状態になりながら徐州を捨てて逃げ出しました。

体調を崩す陶謙と寝てる劉備

 

陶謙は徐州が難しい場所であることが分かっていて、可愛い息子には苦労をさせずに劉備に火中の栗を拾わせたんですね。徐州を手放せば息子さんはそこそこ幸せに暮らしていけそうですが、後を継いでしまったら敗戦の挙げ句に一族皆殺しにされ、陶謙の墓掃除をしてくれる人もいない、という状況になりかねません。息子が徐州を守り切れそうなら後を継がせるのが一番いいですが、無理だと思ったら地位を手放すのが次善の策です。

 

 

二代目が国を守ることは至難

 

劉備が徐州を譲り受けた際には、劉備は陶謙の重臣であった曹豹(そうひょう)の裏切りによって徐州を呂布(りょふ)に奪われています。代替わりをした際に恐ろしいのは、先代の統治に納得していた重臣たちが後継者にも忠誠を尽くすとは限らないということです。

 

株式会社三国志で働く劉備と孔明

 

現代の企業の人間模様にたとえれば、やり手の創業者社長が引退した後、その社長と一緒に会社をきりもりしてきた重役さんたちが、実績もなく年も若い社長の息子を新社長として上に戴くことに納得しないかもしれないという状況です。

 

北方謙三 ハードボイルドな劉備

 

創業者社長が会長になって息子が立派になるまで見張っておくのがいいんでしょうけれども、それをやる時間的余裕がない場合には、息子に無理に後をつがせなくったっていいよ、って重役さんたちに言っておくのはまあまあ普通の考え方だと思います。

 

 

二度の失敗体験

劉備

 

劉備は徐州で先代の重臣であった曹豹の裏切りにあうという失敗体験をしましたが、荊州でも痛い目に遭っています。荊州の時には、長官の劉表(りゅうひょう)の後継者として、長男の劉琦(りゅうき)を推す人たちと、劉琦の異母弟(いぼてい)劉琮(りゅうそう)を推す人たちがいて、劉備は劉琦寄りの立場にいたのですが、劉表が亡くなると劉琮側の人たちに出し抜かれて荊州から遁走(とんそう)するはめになりました。

 

馬謖を信用していない劉備

 

この二つの失敗体験から、有力者たちの支持がなければどこにも安住できないことを劉備は身にしみて知っていたはずです。このことから、諸葛亮たちが支持しないなら息子に無理矢理後を継がせることはできないと、劉備は考えていただろうと思います。

 

 

ブラック三国志ライター よかミカンの独り言

ブラック三国志ライター よかミカンの独り言

 

私は劉備の遺言を、諸葛亮への全幅の信頼をよせている美談だとは思っていません。奪いたいなら肩肘はらずにサクッと奪えばいいよ、と言いたかっただけだと思います。

 

劉禅と孔明

 

こう言っておいてあげれば、諸葛亮が国を奪いたくなったら遺言をたてにとって穏当に(劉禅をいじめずに)譲り受けることができますし、奪わないとしても、国を託された特別な重臣だぞ、といばって政治ができるので仕事がやりやすくなります(良臣ぶって劉禅を大事にしてくれるという効果もあります)。

 

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

劉備政権は諸葛亮が脳みそで劉備は筋肉でしたから、諸葛亮を排除するという選択肢はありえません。諸葛亮の支配力を堅牢なものにしておき、彼が支持するなら劉禅をたて、支持しないなら彼自ら国を取らせるというのは、至極現実的な考えであったと思います。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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