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三国志の悲劇の英雄・顔良!文醜と共に[運命]を歩んだ理由

2024年6月4日


顔良と文醜

 

顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)袁紹(えんしょう)軍の2枚看板。それにしても、この2人の名前のコントラストは何とかならないのでしょうか。日本人ならざわつかずにはいられませんよね。顔良も文醜も力のある武将だったはずなのですが、その死に様は何だか不憫…。

 

文醜と顔良

 

特に、顔良には同情を禁じ得ません。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁紹軍での2人の活躍は?

袁紹と顔良

 

顔良と文醜は『三国志演義』では義兄弟の契りを結んだ仲であるとされています。しかし、袁紹軍の2枚看板と言われるこの2人の雄姿と呼べるものは正直見当たりません。でも、少しは何かあるでしょう!というわけで、袁紹軍での2人の活躍を何とか探し出してみました。

 

三国志演義_書類

 

まずは顔良。『三国志演義』では、袁紹に斬りかかった韓馥(かんふく)軍の耿武(こうぶ)を、袁紹の傍らにひかえていた顔良が返り討ちに。ここで顔良はその存在感を示します。

 

顔良

 

 

また、曹操(そうそう)との戦いでは序盤で宋憲(えいけん)魏続(ぎぞく)を次々と葬り、正史『三国志』で陳寿(ちんじゅ)が曹操軍の名将として数える徐晃(じょこう)をも追い詰める活躍を見せます。

 

文醜

 

続いて文醜。『三国志演義』では、界橋の戦いで公孫瓚(こうそんさん)を追い詰める活躍を見せますが、あと一歩のところで趙雲に阻まれ、結局公孫瓚を取り逃がしています。顔良に輪をかけていい所が無い文醜…。

 

 

 

曹操の客将・関羽

曹操と関羽

 

劉備(りゅうび)が曹操に大敗し、その消息がわからなくなっていたとき、関羽(かんう)は捕虜として曹操の元にいました。しかし、曹操は関羽を偏将軍に任命。あの手この手で関羽の心をつかもうとしますが、劉備への忠誠心のあつい関羽を説き伏せることはできませんでした。

 

それでも、恩義を感じていた関羽は、何かの折に曹操への恩を返そうと考えていました。同じ頃、何とか逃げ延びた劉備は、袁紹を頼ります。そして劉備が袁紹側に、関羽が曹操側についている状態で、両者の戦いの火ぶたが落とされます。

 

 

劉備からの言付け

劉備

 

離れ離れになってしまった関羽のことを思いながら過ごす劉備にこんな一報が届きます。どうやら関羽は曹操の元で将軍となっているらしい。何かの間違いでは!?桃園で義兄弟の契りを交わした関羽が…。劉備はうろたえますが、すぐに思い直します。

 

劉備とはぐれて心配する関羽

 

「いや、あの関羽のことだ。何かわけがあって曹操の元にいるだけなのだろう。もしかしたら、私が死んでしまったと思っているのかもしれない。何とか私の消息を関羽に伝えたい…。」

 

そう思った劉備は、袁紹軍の中で最も力がある武将・顔良に言付けします。

 

青龍偃月刀を持つ関羽

 

もし、曹操との戦いの最中に長いひげをたくわえた青龍刀を操る大男が現れたら、それは間違いなく関羽だ。関羽は私が死んでしまったと思っているようなのだ。どうかその関羽に「劉備は生きて、袁紹様の元にいる」と伝えてほしい。顔良はそれを快諾し、戦場に出掛けていきました。

 

 

 

関羽を発見!しかし…

漢の顔良(がんりょう)

 

白馬・延津での曹操との戦いに臨んだ顔良。緒戦、顔良は華々しい活躍を見せます。徐晃が顔良相手にたじたじになっていたのを見た曹操は、顔良に恐れを抱きます。あの顔良をなんとかせねば…。そこで名乗りをあげたのが関羽。曹操から受けた恩をここで返そうと考えたのです。曹操は喜んで関羽を出陣させます。一方、向かってくる男を見てすぐに関羽だと気づいた顔良。何とか関羽に劉備からの言付けを伝えようとします。「おう、お前が関羽だな?」武器をおろして話しかけようと試みる顔良。

 

関羽

 

しかし、関羽は耳を傾けてくれません。「お前に言付けを預かって…」「ごちゃごちゃ何を言っている!戦に言葉は無用!」バサッ一撃で倒される顔良。あぁ、せっかく関羽にとってこの上ない吉報をたまわっていたのに…。劉備からの言付けを伝えたかっただけの誠実な顔良が不憫でなりません

 

 

顔良を殺されて火がついた文醜

伝言を伝えにくるも関羽に斬られる顔良

 

顔良が関羽に討たれたのを目の当たりにした文醜。怒り狂って関羽に突撃します。しかし、文醜も関羽の青龍刀で一刀両断され果てます。あまりにあっけない最期…。しかし、正史ではその死について詳しく書かれていないので、『三国志演義』でその死を描いてもらってかえって良かったのかも…?

 

2枚看板の顔良と文醜が早々に敗れ去ってしまったことにより、袁紹は怖気づいてしまいます。もし、2人が生き長らえていれば、袁紹はもう少し長生きできたかもしれませんね

 

※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。

元記事:顔良と文醜の裏話、顔良って実はいい奴?

 

 

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