曹丕が皇帝として君臨した魏の国内の治世は、反乱など起きることなく見事に安定していました。蜀の丞相・諸葛孔明は曹丕が生きている時に、北伐を行えなかったのは曹丕の国内の統治がしっかりとしていた事を表しているでしょう。魏の国内をしっかりと収めた曹丕ですが、突然亡くなってしまいます。一体どうして曹丕は亡くなったのでしょうか。今回は曹丕の死因について調べてみました。
戦から帰ってくるといきなり体調不良に
曹丕は孫権が魏に降伏していたにも関わらず、反旗を翻したことに激怒し、孫権討伐を何回も行います。しかし曹丕は孫権を討伐することができず、何度も撤退していきます。そんな中、曹丕は再び孫権を討つため、冬の寒い日に大軍を率いて出陣。冬の寒い日だったため河川が凍結して船を動かすことができませんでした。
曹丕は河川が凍結しては船を進めることができないため、悔しい思いを飲み込んで撤退していきます。ここまでは元気に過ごしていました。しかし孫権討伐の翌年五月に病にかかってしまいます。
曹丕死す!!原因は一体何!?
曹丕は原因不明の病にかかってしまいます。そして曹丕を侵した病は治ることなく、そのまま亡くなってしまうのでした。どうして曹丕は亡くなったしまったのでしょうか。
曹丕が亡くなったのは呪いのせい!?
三国志演義では呪いのせいで亡くなった人物が大勢います。例えば関羽を討伐した時の孫呉の司令官・呂蒙は関羽を討ち取った後、亡くなってしまいます。また曹操も関羽の首を見た数ヵ月後に亡くなってしまいます。もしかしたら曹丕も呪いを受けて殺されてしまったのではないのでしょうか。
曹丕は色々な人物をいじめており、一番有名なのは関羽へ降伏していた于禁をいじめたことでしょう。曹丕は孫呉から帰ってきた于禁に対して、彼を温かく迎えて、再び将軍の位に就かせます。その後曹丕は于禁へ曹操のお墓参りをするように命令。
于禁は曹操のお墓に行くと自分が関羽に降伏している惨めな姿が描かれていました。于禁はこの絵をみて恥ずかしい思いと曹丕への怒りを溜め込んで亡くなります。于禁は曹丕をかなり恨んだでしょう。また曹丕の奥さん・甄氏は曹丕の側室の謀略にハマり、どんどん追い詰められていき、最後は曹丕の怒りをかって殺害されてしまいます。呂蒙や曹操のように曹丕も于禁や甄氏の強い恨みの思いが曹丕を殺したと考えられるかもしれません。
曹丕が亡くなったのは病!?
曹丕が亡くなった原因は普通に考えるとやっぱり病気ではないでしょうか。曹丕のように三国志の時代では病にかかって、いきなりバタッと亡くなる事が多くあります。曹丕の弟の曹沖も病にかかって死んだ一人です。曹沖は天才的な頭脳の持ち主でした。曹操はある日孫権から象が送られてくると部下達へ、象の重さを図りたいんだが何かいい方法はないかアドバイスを求めます。
だが曹操の部下達は曹操にアドバイスをすることができませんでした。しかし曹沖は当時5歳位だったにも関わらず、曹操へ的確なアドバイスを行い象の重さを測ることに成功します。曹操はこの事から曹沖を可愛がり、彼の天才的頭脳を愛し、一時は後継者にしようと考えていました。
しかし曹沖は病にかかって治ることなく亡くなってしまいます。ウィキペディアは曹丕が肺炎で亡くなったと記され、病で死んだ可能性はかなり高いと思います。更に肺炎と死因を断定していることから誰かが調べた可能性があり、曹丕が前々から肺炎にかかっており、肺炎が悪化して亡くなったのかもしれません。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は曹丕の死因についてご紹介しました。正史三国志には曹丕が急死したと書いてあるだけで、どうして亡くなったのかとは書いていません。そのためもしかしたら曹丕にいじめられた于禁や、曹丕に殺された奥さん甄氏の恨みを買って亡くなったかもしれません。読者の皆様は曹丕の死因が病気で亡くなったと思いますか。それとも于禁や甄氏の恨みを受けて亡くなったと思いますか。
【参考】
ちくま学芸文庫 正史三国志魏書など
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