蘇秦(そしん)は秦に対抗する大義を掲げ、燕・趙・韓・魏の同盟を成立させます。
彼は最終目標である六か国同盟の成立を完成させるため、
東方の大国である斉と南方の覇者である楚を同盟に参加させるため、
動き始めます。
彼はまず東方の大国である斉へ馬車を急がせます。
前回記事:蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.1
この記事の目次
東方の大国「斉」の内情を頭に叩き込む
蘇秦(そしん)は韓を離れ、当方の大国である斉へ向かいます。
彼は馬車を走らせながら、斉を調べて来た者からの報告を受けます。
報告者は蘇秦に「斉は学問を奨励し、賢材と言われる人材を数多く集め
採用しております。また弟である靖郭君田嬰(せいかくくんでんえい)を起用し、
国内の商工業を奨励して斉国は非常に活力にあふれて
おります。」と説明。
蘇秦は馬車を走らせながら斉国内の内情を頭の中に叩き込みます。
斉の国状を分析する
蘇秦はあらかじめ会見の約束を斉の宣王(せんおう)に取り付けておいていた為、
すぐに斉王の居る宮殿に向かいます。
彼は斉王と会見すると得意の弁舌を繰り広げます。
彼は斉王に「斉の国土は二千里にもおよび、民は活気に溢れ、
国力は充溢しており、兵は精強でその数は数十万に登ります。
このような国に賢王と言われる斉王が居れば、
どの国も斉に敵対する事は出来ないでしょう。」
と斉の国状を説明します。
宣王は蘇秦の言葉を聞いて、続きを話すよう促します。
斉の強さを賞賛し、六か国同盟に参加してくれるよう要請する
蘇秦は再び意見を語り始めます。
彼は「それなのに王は臣下の進言を受け入れ、秦に仕えようとなさっております。
斉と秦の間には韓と魏の両国があり、この二つの国を臣従させなければ
斉に攻め込むことはできません。
もし秦が韓・魏を服属させ、斉へ攻めかかってきたとしても、
容易には攻め込めません。
その理由は斉に攻め込む前に要害堅固な地である亢父(こうほ)を
攻略しなければならないからです。
この地は道が狭く、馬車を二台連ねて進むことができない地で、
大軍で攻め込むには不利な地です。
この地を堅守し、魏・韓の両国を秦から引きはがせば
斉の勝ちは揺るがないでしょう。
現在、趙・燕・韓・魏は同盟を締結させて、秦に対抗しようと試みております。
この同盟に賢王と賢材が多くおり、精強な軍勢を擁する斉が加われば、
秦に対抗する事が出来ます。
どうか斉もこの同盟に参加し、秦の圧力を跳ね返し、
諸侯に安寧をもたらしていただけませんでしょうか。」と説きます。
五か国同盟の成立
斉の宣王は彼の意見を採用する事を表明した後、
「あなたの言葉に従い、秦に対抗する同盟に我が国も参加させて
頂く。趙の粛侯によろしく頼むと伝えてくれないか。」と述べます。
こうして反秦同盟形成がほぼ固まり、残りは南方の雄である楚を
残すのみとなりました。
蘇秦は同盟の完成を急ぐため斉王からの饗応を断り、
楚へ向けて馬車を走らせます。
南方の覇者楚の国状は
蘇秦は楚へ向かう馬車の中で、斉で集めたその国状を頭の中で整理します。
彼は頭の中で「楚の国は秦に匹敵する国土を持ち、兵は多く百万に達するほど。
しかし国内は貴族が権力を握り、旧態依然のままである。
その為度々秦に国土を削り取られている。」と今ある情報をまとめます。
そしてついに楚の国都に到着し、楚王である威王に会見を申し入れます。
会見を申し入れてから数日後、蘇秦は威王(いおう)からの呼び出しがかかり、
宮殿へ向かいます。
こうして六か国同盟に参加させる最後の国である楚の威王
との会見が始まります。
南方の覇者・楚の威王との会見
蘇秦は戦国七雄最後の国である楚の威王との会見に臨みます
彼は威王に対して楚の国の現状から述べ始めます。
蘇秦は「楚の国は国土の広さは天下一で、
兵の多さも百万と非常に多く、国土・兵の多さ共に天下の覇者に相応しく
思います。
また西方の秦とは常に覇を争い、秦が弱まれば、楚が強大となり、
楚が弱まれば、秦が強大となるのが常となっております。」と
楚の国状を交えながら秦と楚の実情を威王に語りかけます。
威王は蘇秦の言葉に引き込まれ、話の続きを聞きたそうな目で
彼を見ます。
蘇秦は内心で「楚王は必ずこの同盟に参加するはずだ。
楚が参加すれば、六か国同盟が成立し、秦に対抗する事が出来る。」と
確信しておりました。
彼は同盟成功の確信を表情に出さないようにして、再び語り始めます。
楚国の最善策を献策
「そこで私は楚王の為に一つの策を献じたいと思います。
その策とは秦を孤立させる事です。
現在燕・趙・韓・魏・斉の五国は秦に対抗するため、同盟しております。
威王様もこの同盟に入る事で簡単に秦を孤立させることができます。
もしこの同盟に入らず、単独で秦と決戦を行った場合、
どうなるのか説明したいと思います。
楚が単独で秦に挑んだ場合、秦は軍を二つに分けて侵攻すると思われます。
一軍は武関をから出陣し、もう一つの軍勢は長江の流を利用し
一気にその中心部である都市に侵攻するでしょう。
こうなった場合楚は手の打ちようが無く、非常に厳しい防戦をする事に
なると思います。
その前に六か国同盟に参加し、秦を孤立させ、斉・韓・魏・趙・燕を従えて
天下の覇者となる事を進言いたします。」と述べます。
楚の威王は彼の言葉に感心し、大いに満足した表情を見せます。
反秦六か国同盟の成立
楚の威王は話を聞き終えると蘇秦に対し「わが国は秦と国境を接しており、
かの国とは親交を結びたいと思わん。
だが韓・魏が秦の侵略を受け続け、領土が漸減しており、両国と共に
秦に対する対抗策を巡らせることができない。
またわが臣下には共に語る事の出来る人材が乏しく、
頼みになる者がいないのが現状だ。
その為私はゆっくり休むこともできず、食事をしていても喉を通らない。
しかし先生の言葉を聞き、私は久しぶりに充足感に満たされた。
秦によって各国の領土が削り取られる前に我が国もその同盟に参加し、
秦に対抗しようではないか。」と同盟に参加する意志を見せます。
こうして趙・燕・韓・魏・斉・楚の群雄が秦の国に対して
反抗する意志を統一。
蘇秦は六か国同盟の長に就任し、六か国の宰相を兼任する事になります。
三国志ライター黒田廉の独り言
鬼谷先生の元で弁舌と外交を学ぶも、
どの国の誰も彼の言葉に耳を傾けませんでした。
その為、自宅に引きこもってニート生活を送る事一年、
ついに各国の君主を動かす術を身に付けます。
その後燕・趙・魏・韓・斉・楚の君主の心を動かし、
ついに六か国同盟を作り上げる事に成功します。
蘇秦が学んだ書物の名前は分かりませんが、
一年家に引きこもって独学でここまで成長します。
人は必死に努力すれば、言葉で人を動かすことができるのだと
蘇秦が証明してくれたように思います。
蘇秦(そしん)は斉と楚の各王を説き伏せる事に成功します。
こうして秦に対抗する六か国同盟が完成し、彼の名は六国の知識層に知れ渡り、
敵国である秦にとって蘇秦の名は恐怖の的となります。
こうして天下に羽ばたいた蘇秦は富と名声を手に入れます。
周王から接待を受ける
蘇秦は楚との同盟を締結した後、趙の粛侯に報告する為、趙へ向かいます。
彼は趙へ向かう途中、洛陽に立ち寄ります。
この時彼の行列は各国からもらった黄金や絹などの贈り物を満載した馬車が
列をなし、王侯・貴族のような雰囲気を漂わせていました。
周の顕王(けんおう)はこの行列を見て大いに驚き、道を掃除させ、
自ら洛陽城外に出迎えてきます。
蘇秦は得意の絶頂で周王の出迎えを受け、饗応を受けます。
家族との再会
彼は周王の宮殿で饗応を受けた後、洛陽の郊外にある自宅に顔を出します。
すると兄弟や兄嫁は彼の姿をまともに見ず、俯いておりました。
蘇秦は「以前私をバカにしていたあなた達が、
なぜ顔をこちらにむけないのですか。」と質問。
すると兄嫁が恐懼しながら顔を挙げ「あなたが金持ちになったからです。」と
述べます。
すると彼は兄嫁や兄弟達に向かって「中身が同じ人間でありながら、
富貴を手にしたとたん家族や親戚さえも恐れるのか。
もし私が、最初から富んでいたならば、
六国の印綬を手にしてこの場に居る事は無いだろう。」とため息をつきながら言うと、
従者に馬車の中から千金を持ってこさせ、家族や親類に分け与えます。
恩を恩で返す
蘇秦は家族や親類以外にも、以前洛陽で世話になった友人や知り合いすべてに
金を送り、返礼します。
しかし蘇秦に初めから付き従っていた一人の従者は彼に
「私には何にも返礼が無いのですがどうしてですか」と問いただします。
すると蘇秦は「私は君の事を忘れているわけではないが、以前燕に向かった時、
君は帰りたいと散々言った。私はあの時非常に困り、
その時以来君の事を恨んでいたのだ。
だから君を最後にしたのだが、君はずっと私に付き従ってくれた恩があるから
今日返すよ。」と言って、従者にもちゃんと恩を返します。
彼は富貴の身になってもしっかりと恩を恩で返す心をもっており、
この時の行動が洛陽で噂になり、彼の名声を高めます。
武安君・蘇秦
蘇秦は洛陽を後にし、趙の都である邯鄲に到着します。
その後粛侯(しゅくこう)に六か国同盟の成立した事を報告。
粛侯は大いに喜び、彼に褒詞を与え、武安君に取り立てます。
こうして天下にその名を轟かせ、趙の貴族に出世した蘇秦は得意の絶頂でした。
彼が締結させた六か国同盟の威力は凄まじく、秦は十五年にわたって函谷関以東に
兵を向ける事が出来ず、秦の圧力は大いに弱まり、各国は平和を謳歌します。
しかし一人の男の出現によって六か国同盟が破綻する事になります。
六か国同盟の破綻
秦は六か国同盟を破綻させる為、一人の男を斉と魏に派遣します。
その男の名を犀首(さいしゅ)と言います。
彼は六か国同盟を破綻させる為、まず斉王を騙し、その後魏へ向かい魏王を騙して
趙との同盟を破棄させます。
こうして二国を趙との同盟を破棄させた犀首は、この二国に趙を攻撃する様に進言。
二国は犀首の進言を取り入れ、趙へ侵攻を開始します。
趙は斉と魏が突然趙に侵攻してきたため、迎撃の準備が出来ておらず、
領土を取られてしまいます。
粛侯は蘇秦に「六か国同盟はどうなったのだ」と激怒しながら責任を追及します。
蘇秦は粛侯に恐れ、燕へ向かいます。
蘇秦が趙を離れた事で、六か国同盟は完全に瓦解してしまいます。
三国志ライター黒田廉の独り言
蘇秦は六か国同盟を成立させた事で、秦の侵攻を抑え、歴史に名を刻んだ
弁舌家であると私は思います。
彼のおかげで、各国は秦の圧力から逃れる事が出来き、
秦の圧力が無くなっている間、各国の民は大いに平和を謳歌し、国は富んでいきます。
この状態が維持されていれば、秦の天下統一は大幅に遅れていたかもしれませんが、
利益に弱い各国の君主は秦の策謀に嵌り、六か国同盟は瓦解し、
再び秦の圧力が各国の上にのしかかってくることになります。
「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまた初めての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~。」
次回記事:蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.3