蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.1




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古代中国の戦国時代後半は秦の力が強い時代でした。

その為秦以外の諸国は秦に対抗するため、色々な策を考えておりました。

そんな中、一人の外交家が「合従」策を考えます。

この合従とは秦以外の六国(斉・楚・趙・韓・魏・燕)が同盟し、

秦に対抗する外交策です。

この合従策を考え出し、秦の侵攻を抑えた外交家・蘇秦(そしん)

紹介していきたいと思います。




鬼谷先生に学んだ若き日

蘇秦(そしん)は合従連衡を行った

 

蘇秦(そしん)は洛陽出身の人です。

彼は若い頃、斉に遊学し、鬼谷(きこく)先生の元で外交について学びます。

鬼谷先生の元を卒業した後、各国を巡りますが、どの国も彼を

相手にしませんでした。

蘇秦は各国を遊説してから数年後、貧困のあまり帰国。

彼の兄・兄嫁・妹・妻が彼のボロボロな姿を見て

「周の民は農業を行い、商売に努める事を奨励しているのに、

お前は口先で国家を動かそうとしているから、

そんなボロボロのなりをする事になるんだ。」と彼を指さし笑います。

蘇秦はこの言葉を聞き、大いに恥じ入り、家に閉じこもります。




必死に書物を読み漁るニート

何晏

 

蘇秦は家に帰ると部屋に閉じこもり、家にある書物を全て引きずり出し、

片っ端から読み漁ります。

そして彼は一年の間、仕事もせず本を読み漁った結果、

君主の感情を察する術を身に付けます。

そして奥さんに「俺はやっと君主を動かす術を身につけた。

今にお前をこの極貧の生活から出してやるからな」と

言い、周王の元へ向かいます。

 

君主を動かす術を身につけたはずが…

 

ニート蘇秦は君主を動かす術を身につけ、

意気揚々と周の顕王(けんおう)の元に向かいます。

しかし顕王の側近は彼の事を知っており、彼を顕王に会わせませんでした。

蘇秦は周王に絶望し、再び各国を巡る旅を決意します。

先ずは西方の大国である秦へと向かいます。

 

秦王と会う事に成功するが…

洛陽城

 

ニート蘇秦は秦の国に入り、秦王に会見を求めます。

すると以外にも早く、秦王は会見に応じます。

蘇秦は秦王と会うと早速、論じはじめます。

彼は秦王に「秦の国は要害に囲まれた国で守りやすく、

また国民は軍事訓練を受けており天下を統一するのはたやすい事です。」と述べます。

すると秦王は「国家に道理が十分に浸透していない状態で対外戦争に打って出るのは

不可能だ。」と説明。

そして秦王は「君の意見は受け入れられない」と述べます。

蘇秦は秦王の決意が固い事を確認すると、すぐに秦の国を出て、趙へ向かいます。

 

趙の粛侯と会えなかったニート

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

蘇秦は周・秦で自身の説を受け入れられなくても落ち込まず、

次の目的地である趙へ向かいます。

彼は趙へ入ると、すぐに趙の君主である粛侯(しゅくこう)に面会したい旨を伝えます。

すると趙の粛侯の弟である奉陽君(ほうようくん)が彼を面接。

その結果、粛侯に会わせられないと返答が来ます。

蘇秦はここでも自らの意見を受け入れらません。

しかし彼は諦めず、北方の雄である燕に向かいます。

 

ニートの運命を変えた文侯との出会い

三国志 剣閣のお城

 

蘇秦は北方の雄である燕の国に入ります。

そして燕の君主である文侯に会見を申し入れます。

しかし会見を申し入れてから半年たっても何の音沙汰もありません。

蘇秦はその間燕国の内情を調べ、

いつ文侯と会見しても大丈夫なように情報取集を行います。

こうして一年余りたったある日ついに文侯から会見に応じると伝えられます。

蘇秦は意気揚々と文侯の居る会見場へ向かいます。

 

燕の文侯との会見がニートの運命を変える

三国時代の弓兵(兵士)

 

蘇秦は文侯と会うと熱弁をふるいます。

蘇秦は「燕には武装兵数十万がおり、南にある雁門(がんもん)や碣石(けっせき)から

豊富な物資を集める事が出来ます。

また北からは棗(なつめ)・栗など豊富な食料があり、

南と北のおかげで燕は天然の倉庫をもっているようなものです。

現在中華は秦が強勢を強め、各国を侵し続けておりますが、

燕のみが現在秦の戦火を被らず、平和に国を維持しております。

なぜ燕は平和な状態を維持できているのでしょうか。

それは南で趙が秦の圧力を防ぎ、燕の盾となっているからです。

このおかげで秦の勢力は燕に及ばず平穏に国を保っている理由です。

また秦は燕を攻めようとしても、代と上谷(じょうこく)の要害を超えて

攻略しなくてはなりません。

このため秦は数千里のかなたにある燕に攻め込まなくてはなりません。

しかし趙が攻めてきた場合、出陣の号令を出してから十日以内に

数十万の軍勢を揃える事が出来き、その後易水(えきすい)を超えて

二週間程度で燕の国都に到着し、攻撃を仕掛ける事が可能です。

そこで燕としては趙と同盟を組んで秦に対抗するべきであると勘考いたします。

その後天下の諸侯が同盟して秦に対抗するならば、

燕は何の憂いなく平和を謳歌する事ができるでしょう。」と熱弁をふるいます。

文侯は蘇秦の熱弁を聞き、彼に対して「あなたの言葉は大変参考になる。

だが我が国は小国で、西は趙に近く、南は斉に近い。

趙・斉は非常に強国で秦に劣らない国々だ。

あなたが秦に反対する同盟をもって燕の国を平和に導くことができるのであれば、

私は燕の総力を挙げてあなたを支援したいと思う。」と述べます。

その後文侯はニートであった蘇秦を趙国への使者として遇し、

金銀・馬車・綺麗な絹などを与えて、彼に趙との同盟を依頼。

こうして蘇秦は自らの弁論で運命を切り開き、各国を動かしていく事になります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

蘇秦は自らの弁論で各国を動かした遊説家として非常に有名な人です。

しかし初めはどの君主も彼に会ってくれず、

会ったとしても受け入れてもらえませんでした。

しかし彼はめげずに各国を巡り、燕の文侯に熱弁をふるう事で、

運命を切り開きます。

こうして自らの志を立てる事に成功し、彼は天下に羽ばたくことになります。

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