蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.1

2016年4月19日


 

 

古代中国の戦国時代後半は秦の力が強い時代でした。

その為秦以外の諸国は秦に対抗するため、色々な策を考えておりました。

そんな中、一人の外交家が「合従」策を考えます。

この合従とは秦以外の六国(・趙・韓・)が同盟し、

秦に対抗する外交策です。

この合従策を考え出し、秦の侵攻を抑えた外交家・蘇秦(そしん)

紹介していきたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鬼谷先生に学んだ若き日

蘇秦(そしん)は合従連衡を行った

 

蘇秦(そしん)は洛陽出身の人です。

彼は若い頃、斉に遊学し、鬼谷(きこく)先生の元で外交について学びます。

鬼谷先生の元を卒業した後、各国を巡りますが、どの国も彼を

相手にしませんでした。

蘇秦は各国を遊説してから数年後、貧困のあまり帰国。

彼の兄・兄嫁・妹・妻が彼のボロボロな姿を見て

「周の民は農業を行い、商売に努める事を奨励しているのに、

お前は口先で国家を動かそうとしているから、

そんなボロボロのなりをする事になるんだ。」と彼を指さし笑います。

蘇秦はこの言葉を聞き、大いに恥じ入り、家に閉じこもります。

 



必死に書物を読み漁るニート

何晏

 

蘇秦は家に帰ると部屋に閉じこもり、家にある書物を全て引きずり出し、

片っ端から読み漁ります。

そして彼は一年の間、仕事もせず本を読み漁った結果、

君主の感情を察する術を身に付けます。

そして奥さんに「俺はやっと君主を動かす術を身につけた。

今にお前をこの極貧の生活から出してやるからな」と

言い、周王の元へ向かいます。

 

君主を動かす術を身につけたはずが…

 

ニート蘇秦は君主を動かす術を身につけ、

意気揚々と周の顕(けんおう)の元に向かいます。

しかし顕王の側近は彼の事を知っており、彼を顕王に会わせませんでした。

蘇秦は周王に絶望し、再び各国を巡る旅を決意します。

先ずは西方の大国である秦へと向かいます。

 

秦王と会う事に成功するが…

洛陽城

 

ニート蘇秦は秦の国に入り、秦王に会見を求めます。

すると以外にも早く、秦王は会見に応じます。

蘇秦は秦王と会うと早速、論じはじめます。

彼は秦王に「秦の国は要害に囲まれた国で守りやすく、

また国民は軍事訓練を受けており天下を統一するのはたやすい事です。」と述べます。

すると秦王は「国家に道理が十分に浸透していない状態で対外戦争に打って出るのは

不可能だ。」と説明。

そして秦王は「君の意見は受け入れられない」と述べます。

蘇秦は秦王の決意が固い事を確認すると、すぐに秦の国を出て、趙へ向かいます。

 

趙の粛侯と会えなかったニート

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

蘇秦は周・秦で自身の説を受け入れられなくても落ち込まず、

次の目的地である趙へ向かいます。

彼は趙へ入ると、すぐに趙の君主である粛侯(しゅくこう)に面会したい旨を伝えます。

すると趙の粛侯の弟である奉陽君(ほうようくん)が彼を面接。

その結果、粛侯に会わせられないと返答が来ます。

蘇秦はここでも自らの意見を受け入れらません。

しかし彼は諦めず、北方の雄である燕に向かいます。

 

ニートの運命を変えた文侯との出会い

三国志 剣閣のお城

 

蘇秦は北方の雄である燕の国に入ります。

そして燕の君主である文侯に会見を申し入れます。

しかし会見を申し入れてから半年たっても何の音沙汰もありません。

蘇秦はその間燕国の内情を調べ、

いつ文侯と会見しても大丈夫なように情報取集を行います。

こうして一年余りたったある日ついに文侯から会見に応じると伝えられます。

蘇秦は意気揚々と文侯の居る会見場へ向かいます。

 

燕の文侯との会見がニートの運命を変える

三国時代の弓兵(兵士)

 

蘇秦は文侯と会うと熱弁をふるいます。

蘇秦は「燕には武装兵数十万がおり、南にある雁門(がんもん)や碣石(けっせき)から

豊富な物資を集める事が出来ます。

また北からは棗(なつめ)・栗など豊富な食料があり、

南と北のおかげで燕は天然の倉庫をもっているようなものです。

現在中華は秦が強勢を強め、各国を侵し続けておりますが、

燕のみが現在秦の戦火を被らず、平和に国を維持しております。

なぜ燕は平和な状態を維持できているのでしょうか。

それは南で趙が秦の圧力を防ぎ、燕の盾となっているからです。

このおかげで秦の勢力は燕に及ばず平穏に国を保っている理由です。

また秦は燕を攻めようとしても、代と上谷(じょうこく)の要害を超えて

攻略しなくてはなりません。

このため秦は数千里のかなたにある燕に攻め込まなくてはなりません。

しかし趙が攻めてきた場合、出陣の号令を出してから十日以内に

数十万の軍勢を揃える事が出来き、その後易水(えきすい)を超えて

二週間程度で燕の国都に到着し、攻撃を仕掛ける事が可能です。

そこで燕としては趙と同盟を組んで秦に対抗するべきであると勘考いたします。

その後天下の諸侯が同盟して秦に対抗するならば、

燕は何の憂いなく平和を謳歌する事ができるでしょう。」と熱弁をふるいます。

文侯は蘇秦の熱弁を聞き、彼に対して「あなたの言葉は大変参考になる。

だが我が国は小国で、西は趙に近く、南は斉に近い。

趙・斉は非常に強国で秦に劣らない国々だ。

あなたが秦に反対する同盟をもって燕の国を平和に導くことができるのであれば、

私は燕の総力を挙げてあなたを支援したいと思う。」と述べます。

その後文侯はニートであった蘇秦を趙国への使者として遇し、

金銀・馬車・綺麗な絹などを与えて、彼に趙との同盟を依頼。

こうして蘇秦は自らの弁論で運命を切り開き、各国を動かしていく事になります。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

蘇秦は自らの弁論で各国を動かした遊説家として非常に有名な人です。

しかし初めはどの君主も彼に会ってくれず、

会ったとしても受け入れてもらえませんでした。

しかし彼はめげずに各国を巡り、燕の文侯に熱弁をふるう事で、

運命を切り開きます。

こうして自らの志を立てる事に成功し、彼は天下に羽ばたくことになります。

 

 

 

蘇秦は斉で遊説家としての勉強をし、各国を巡って、弁舌をふるいますが、

受け入れてもらえませんでした。

その後家で勉学を再度行い、再び各国を巡る旅に出ます。

燕の文侯に自らの意見を採用してもらいます。

彼は弁舌をもって、次なる目標である趙へと向かいます。

 

二度目の趙国訪問

 

 

蘇秦(そしん)は燕の文侯から趙との同盟を締結するように依頼されます。

ただのニートであった彼は、今や正式な燕の使者として出世し、

再び趙の国へ赴きます。

趙では粛侯の弟で、彼の意見を聞き入れなかった奉陽君が亡くなっておりました。

蘇秦はこの知らせを聞き、チャンスが巡って来たと副使に言い、

趙の粛侯(しゅくこう)に会見を申し込みます。

するとすぐに粛侯から会見に応じる旨の返事がきます。

彼はすぐに宮殿へ赴き、粛侯と会見。

 

趙に今必要な事とは

 

 

蘇秦は「無礼ながら粛侯様の立場に立って、意見を述べさせていただきます。

今、趙国に一番必要な事は民を安堵させることです。

その為には、まず外交政策を成功させ、外敵からの侵略を防ぎ、

国民の安定を図るのが先決だと思われます。

ではどのような外交政策を行えばいいのか。

それは秦に対抗する同盟を構築する事です。

その第一歩として、燕と同盟を締結するのが良いでしょう。

そうすれば燕は趙に感謝し、様々な献上物を進呈する事でしょう。

燕との同盟が締結した後、斉と同盟を結び、楚・魏・韓・中山などの各国と同盟すれば、

四方の国から侵略されず秦に対抗する事もでき、国の安定も図る事が出来ます。

まずはこの外交政策を取るのが先決であると思われます。」と

述べ、粛侯の反応を見ます。

粛侯は彼の意見をしっかりと飲み込み考え込んだ表情をして、

続きを促すよう伝えます。

蘇秦は手ごたえを感じながら、続きを話し始めます。

 

秦に対抗し、各国と協力関係を築く意義とは

 

 

蘇秦は再び口を開き粛侯に「さて次になぜ秦と同盟してはいけないかを教えましょう。

もし趙が秦と同盟すれば、秦は隣国にある韓と魏に兵を向けましょう。

韓と魏は衰えれば、秦に近い領土を割譲して、和平を求めます。

さて秦に和平を求めた二国は秦に協力して、斉や楚の国々を侵略する事になります。

斉と楚を攻略もしくは服従させた秦は、燕へ大軍を送る事でしょう。

燕一国では秦に対抗できず、滅亡する事になります。

こうして六国が無くなる事で、趙は同盟する国を失い、孤立する事になります。

さて孤立した趙を秦が攻めない事がありましょうか。

答えは否です。

秦は趙が孤立したとなれば同盟を破棄した後、すぐに兵を向け、

首都邯鄲を包囲する事は自明の理です。

ですから秦との同盟を私はお勧めしないのです。」と説明。

ここで粛侯は休憩を取ります。

蘇秦は手ごたえを感じ、休憩時間に次に説明する事柄を頭で整理します。

 

ついに趙の利益を考えた進言

 

 

蘇秦は休憩を終えると粛侯を口説き落とす最後の弁舌を始めます。

彼は「私が趙の国の為に進言する策は一つしかありません。

それは秦に対抗して斉・燕・魏・楚・韓と手を結ぶ事です。

五国と手を結ぶだけではなく、一つの条約を約するのです。

その条約とは「各国が連携して秦に対抗する」という条約です。

どのような内容の条約かと申しますと、

秦が楚に攻め込んだ場合、魏と斉が楚に援軍を送り、秦軍を迎撃。

韓は秦の補給線を切断する事で秦が継戦できないようにし、

趙は黄河を渡り、秦の国を脅かし、燕には自国の国境を守ってもらいます。

また秦が趙に攻め込んだ場合、燕と斉は趙に援軍を送り、共に秦軍を迎撃。

楚は秦の玄関口である南の武関(ぶかん)に出兵して秦を脅かしてもらい、

韓と魏は秦の正面玄関口である函谷関へ出陣してもらい、圧力をかけてもらいます。

このように各国が連携して秦の侵攻に臨めば、秦は各国に攻め込む事の愚かさを知り、

攻めてこなくなるでしょう。

そしてこの条約の末文に、『この条約を破った場合、他の五国が連合して、

違約した国へ攻め込む』と付け加えれば、違約する国は無く、秦に圧力を

加え続ける事が出来ます。

このようにすれば趙の国は秦からの攻撃を受けず、民は富んで、国に安定を

もたらすことができます。」と締めくくります。

 

趙の粛侯を口説き落とす

 

 

趙の粛侯は蘇秦の進言を頷きながら聞き終えると、大いに褒め、

「私は趙の国を継いで日が浅く、長期的国策を立てる事が叶わなかった。

しかしあなたの策を聞き、ぜひ趙の国を挙げてあなたに協力したいと思う。

まず燕との同盟を締結した後、韓に協力を仰ぐ、使者としておもむいてほしい」と

述べます。

こうして彼の弁舌により、趙・燕同盟が成立。

蘇秦は趙の粛侯から大量の黄金・宝玉・綿(めん)を授かり、韓を説得するように

依頼されます。

蘇秦は趙の首都邯鄲を出て、次なる目標である韓王を説得する為、馬車を急がせます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

蘇秦の弁舌は冴えわたり、趙の粛侯の説得に成功。

こうして一歩ずつ秦に対抗する国同士を結び付けて、同盟を締結させていきます。

彼の名は燕と趙の君主を動かした事で、天下にその名を少しずつですが

轟かしていきます。

 

 

 

蘇秦(そしん)は燕の文侯に認められ、趙の国に赴きます。

そして彼は趙の粛侯(しゅくこう)と会見し、熱弁をふるいます。

粛侯は蘇秦の熱弁に胸を打たれ、彼の進言を用いて、

趙と燕の同盟を成立させ、

秦に対抗するため各国との同盟をするよう依頼。

こうして蘇秦は粛侯に認められて、各国へ向かいます。

 

魏へ向かう

 

 

蘇秦(そしん)は趙の粛侯(しゅくこう)に認められ、秦に対抗するため

各国と同盟を結ぶよう依頼され、金銀・綿を授かります。

彼は秦との国境に近い魏の国を目指します。

魏に入国すると早速、魏である襄王(じょうおう)に会見を申し込みます。

 

魏の国力を説く

 

 

蘇秦は魏王である襄王と会見すると、持ち前の弁舌を披露します。

彼は「魏の領土としている所は全て開発されており、民は非常に富んでおり、

南の大国である楚に劣らない国力を有していると思われます。

王はこの富んだ国を挙げて秦の属国として仕えようと考えていると聞きました。

秦に仕えれば、魏の領土を割譲して、誠意を見せなければなりません。

これは賢明な王の行動とは思えません。

このような方針を取らず、趙・燕・斉・韓・楚の五国と同盟を結び、

この国が持つ魏兵の精鋭を用いて、秦に対抗すれば、必ず秦の侵攻を

撃退する事が出来ます。

私は秦に対抗するため、魏との同盟締結を趙の粛侯に命じられ、

六か国同盟の条文を届ける為に参上いたしました。

どうか賢明なる魏王様私の献策を取り上げて頂きたく存じます。」と

策を献じます。

 

魏の襄王、六か国同盟に参加

 

 

魏の襄王は蘇秦の献策を聞き、大いに頷き「私は今先生の話を聞き、

自らの至らぬ所を大いに悟る事が出来た。

今後は趙・燕と盟を結び、秦の国に対抗するであろう。

今後もよろしく頼むと粛侯にお伝えくだされ」と述べ、

秦に対抗する六か国同盟に参加する事を表明。

蘇秦は魏が同盟に参加する事を確認した後、韓へ向かいます。

 

秦に一番近い国・韓

 

 

蘇秦が魏を離れた頃、一大事件が起きます。

周王は秦の恵王を覇者として敬意を表します。

秦の恵王は周の敬意を受けた後、魏に侵攻し領土を削り取り、

将軍を捕虜にします。

蘇秦はこの状況を聞き、六か国同盟にヒビが入る前に手を打つため、

韓へ急ぎます。

韓に入国するとすぐに恵宣王(けいせん)に会見を申し入れます。

恵宣王は蘇秦の申し入れに応じ、宮殿に彼を呼び寄せます。

 

韓の国情を説明する

 

 

蘇秦は恵宣王と会見すると、まず会見してくれた事に対して礼を述べた後、

本題に入ります。

彼は「私がここに来る前に韓の領土を見ましたが、

四囲を天然の要害に囲まれ、兵は精強な顔をしておりました。

また武器も自国で生産し、弩(いしゆみ)は射程が長くその威力は鎧を貫通するほどの

攻撃力を有しており、戟(げき)や剣に関しても鉄の盾を切断し、頑丈な鎧を斬るほどの

切れ味を持っていると聞きます。

このように四囲を要害に囲まれ、自国の兵は精強で、

武器に関しても天下に比類ない強さを持っている、

この国がなぜ秦に仕えようとしているのでしょうか。」と説明します。

恵宣王は大いに頷き「韓の国情を良くご存知である。

しかしまだ秦に臣従したわけではない。」と強い口調で述べます。

蘇秦は恵宣王の言葉に強く頷き、言葉を続けます。

 

反秦同盟である六か国同盟参加を促す

 

 

蘇秦は一度、恵宣王に謝ると再び口を開きます。

彼は「たとえ話を始めますので気を悪くしないで頂きたい。」と

一度言葉を区切ります。

恵宣王は頷き、話を続けるように促します。

蘇秦は促され、話を続けます。

彼は「もしも王が秦に仕える事になれば、秦は韓の大事な領土である

宜陽(ぎよう)と成皋(せいこう)の土地を割譲するよう要求してくるでしょう。

秦にこの土地を差し出したとしても、さらに土地を要求される事は

必定です。

こうして韓の土地を秦に挙げ続ければ、韓の国土が無くなる事になり、

秦と一度も戦わないで、領土を削られ韓の国は滅亡する事になります。

韓の国は兵強く、武器も素晴らしい上、王も賢明であるなら

なぜ秦に対抗しようとなさらないのですか。

私は秦に対抗するため、趙王から命令を受け今回参上いたしました。

その内容は各国と盟を結び、秦に対抗する関係を築く事です。

韓王もぜひこの盟に参加し、暴虐な国である秦に対抗しようではありませんか。」と

説きます。

 

韓も六か国同盟参加を表明

 

 

韓の恵宣王は目を怒らせて、天を一度仰いだ後、大きくため息をつき、

「私は秦に国境が近く一番六国の中で、秦の侵攻を受ける事が多いと思う。

しかし我が国は断じて秦に仕えるわけにはいかない。

その為我が国も秦に対抗するため、六か国同盟に参加しようと思う。」と

六国同盟参加の意思を見せます。

 

反秦同盟の完成が近づく

 

こうして蘇秦の活躍により六か国同盟を完成させる形成する国である

趙・韓・魏・燕が秦に対抗するため同盟を結びます。

残りは大国である東方の斉と南方の覇者である楚です。

蘇秦はまず東方の斉を説き伏せるため、馬車を斉へ向けて走らせます。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

蘇秦は武力を使わず、弁舌のみで各国の君主を動かす事に成功します。

現在で例えるなら、大手企業を動かす事の出来る凄腕営業マンと言った所です。

さてニートから一躍凄腕営業マンとして各国を動かした蘇秦は、

同盟を成立させるため、秦に匹敵する大国である斉と楚に向かう事に

なります。

「今回の春秋戦国時代のお話はこれでおしまいにゃ。

次回もまた初めての三国志でお会いしましょう

それじゃまたにゃ~。」

 

次回記事:蘇秦(そしん)とはどんな人?秦の圧力を跳ね返す為、六国を結び付けた合従論者 Part.2

 

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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