董卓の死後、長安で王允(おういん)と共に暫定政府を作るも、あっけなく都を追われてしまった呂布(りょふ)は袁術や袁紹を頼ってさまよいますが、なかなか定住できず陶謙(とうけん)から譲られた徐州にいた劉備のところに転がり込みます。
呂布はあろうことか劉備を裏切る
ようやく腰を据えることができる場所ができたかと思いきや呂布は、劉備が袁術と戦いに城を空けたすきに、なんと城を乗っ取るという暴挙に出ます。なんて不義理な男、呂布!ですがここには、曹操と荀彧(じゅんいく)による計略があったのです。
二虎競食の計
呂布はトップに立つ武将としてはいまいちでも、呂布を手に入れた董卓が無敵であったように、最強の武将であることは間違いありません。劉備が呂布と手を組むというのは、曹操にとってとても恐ろしいことに思えたのです。そんなとき、参謀の荀彧が、二人を連携させない計略を持ち出しました。これが、「二虎競食(にこきょうしょく)の計」です。
二虎競食の計って何?
これは、2匹の虎が餌を取り合って争うと、どちらかが倒れるか、生き残った方も疲弊するのでそこを狙って両者を倒すという計略です。曹操はこのとき、献帝(けんてい)を手に入れていましたので、皇帝を使って呂布を徐州の牧(ぼく)に任命します。ダブルブッキングですね!(違います)さらに、皇帝の名で、劉備には、「呂布を討伐せよ」という密勅を出すのです。そうすると、二者は徐州の牧の座を巡って争う、という図式です。
劉備は曹操の計略を見抜いた
しかしこの計略は、劉備によって見抜かれてしまいました。劉備はこの密勅を持って呂布と直接話し合ったために、曹操の計略が露見し二者はこのときは争わなかったのです。