女性でありながら、圧倒的な武力を持って山の民をまとめ、さらに勢力の拡張を図っている事から別民族に山界の死王と恐れられる楊端和(ようたんわ)バジオウやタジフのような屈強な戦士を引き連れているその戦闘力は、中原の諸民族にとっても脅威であり、蕞(さい)の防衛戦においては、秦王政との盟約を守りバンコ族との戦闘を一時中断してまで救援にやってきました。
その功積により大上造(だいじょうぞう)の爵位を受けて、現在、秦の将軍として趙攻略戦にも従軍している楊端和は、この後どうなってしまうのでしょうか?
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この記事の目次
そもそもどうして楊端和は秦軍に参加しているのか?
元々、秦の人間ではない楊端和は、どうして秦の戦争に参加しているのでしょう?
これまでも何度か、秦王政の窮地に駆け付けた事はありますが、そのまま従軍する事はありませんでした。
楊端和が秦の将軍として従軍した大きな理由としては、政が加冠の儀を終えて自分の手で政治を行えるようになったという事があります。秦と山界の民は、数百年前に秦の穆公(ぼくこう)と山界の民で盟約を結び、共存共栄の約束をかわしていました。
しかし、穆公の死後、約束は反故にされ、山の民は迫害を受けて秦を恨んでいるという事態に陥ります。そこへ秦王政がやってきて、過去の約束を反故にした事を謝罪し、改めて中華を統一して争いの無い統一王朝を造る事を宣言します。楊端和にとっても平地の秦人に迫害されない太平の世の出現は、望んでいた事なので、先祖の報復をすべしという声を抑えて、再び秦王政と盟約を結ぶに至ったようです。つまり、楊端和は秦王政の中華統一の完成によって、山の民も利益を受けると考えているので、最期の統一まで秦の将軍として付き従うと予測されます。
秦の天下統一前に姿を消す楊端和
そんな義理堅い楊端和ですが、彼女の史実への登場は紀元前229年までです。
※言うまでもないとは思いますが史実の楊端和は男です。
秦による中華の統一は紀元前221年ですから、それより8年前に消えるという事になります。
紀元前229年河内の兵を率いて趙の首都である邯鄲(かんたん)を囲む。翌年、王翦(おうせん)と羌瘣(きょうかい)が趙を平定した。これが楊端和に関する最期の史記の記述であり、以降はありません。キングダムは史実に則ると言っているので、少なくとも、紀元前229年以後は、楊端和が将軍として秦で指揮を執る事は、史実に反するのでやらなくなると思います。
楊端和フェードアウト理由1 壮絶な戦死
紀元前229年の趙との戦いは、王翦、楊端和、羌瘣が出陣しますが、李牧(りぼく)と司馬尚(しばしょう)という二人の将軍の前に大苦戦を強いられると書かれています。これにより、秦は方針変換し、趙の佞臣郭開(かくかい)に賄賂を送って李牧を讒言させて排除するのに成功するわけですが、その前に大苦戦というハードルがあります。
この大苦戦を端的に表わすのは、やはり味方の将軍の戦死ではないか?
というような気がするのです。しかし、羌瘣のフェードアウトは、紀元前228年、王翦は紀元前223年です。つまり史実的に紀元前229年に殺すわけにはいきません。そうなると、死ぬのは楊端和しかいないという事になります。
楊端和は、熾烈を極める趙との戦いで戦死、後をバジオウかタジフが引き継ぎその亡骸を率いて山に戻る事になり、秦は兵力が減少、その対応策として李斯(りし)あたりが離間の計を発動!そういう筋立てではないでしょうか?
楊端和フェードアウト理由2 秦との深刻な不和
楊端和の最終目標は、戦乱の中華が統一された後、秦人に迫害されない山の民と秦人との共存共栄の世界を造る事です。それが達成されると信じる間は、付き従うでしょうが、不可能になれば秦軍を離れると言う事になるでしょう。
考えられるのは、秦王政の心変わりによって約束が履行されないと確信する。この場合には、山の民は穆公の時と秦王政で二重に騙されるので、その場で報復するでしょう。いきなり、趙の側に立って参戦し秦軍に襲いかかるかも知れません。或いは、その行動によって王翦や羌瘣は大苦戦するという事になるかも知れませんね。
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