ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志ファンレター」のコーナーです。
三国志に登場する英雄たちが現在の世界に実在したとしたら、
世界中からファンレターが届くことでしょう。
ジャニーズを超える数の手紙やバレンタインチョコになるのではないでしょうか。
孫策(そんさく)、周瑜(しゅうゆ)の人気は凄いでしょうねー。
そんななかで、この人はどうなんでしょうか。
蜀を支えた揚儀(ようぎ)のことです。
ファンレターは届くのでしょうか。心配です。
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もともとは曹操の配下
楊儀はもともと曹操の家臣です。
と言っても荊州の下っ端役人でしたから曹操は楊儀のことを知らなかったかもしれないですね。
楊儀はこのまま曹操に仕えていても出世できないと考えたのか、関羽のもとに仕官しました。
一説には楊儀は関羽のことを慕っていたという話もあります。
関羽と楊儀・・・・・・一緒にいるイメージはまったくないですね。
関羽の使者として劉備のところに訪れたとき、なぜか劉備に気に入られたようです。
劉備は楊儀のどこを気に入ったのでしょうか。
諸葛亮孔明にも気に入られる
実は楊儀はあの諸葛亮孔明にも気に入られていたのです。
ということはやはりかなり優秀だったということですね。
実際に後方支援の準備などをしっかりこなして信頼も得ていたようです。
なんと楊儀は諸葛亮孔明直属の丞相府の筆頭になったのです。
リーダーとして丞相府を引っ張っていたということです。
どうです?ここまでの話を聞いて楊儀に興味が沸きましたか?
楊儀のファンになったーっていう方はいますかね。
【北伐の真実に迫る】
楊儀の性格
成績が優秀でも、仕事がよくできても、周囲や部下に嫌われる人っていますよね。
上司には気に入られても、なぜかまったく人望がない。
みたいな感じな人です。理由はやっぱりその人の性格でしょう。
人として尊敬できないから慕われないのです。
日本にもいましたね。石田三成とかそれに近いと思います。
(石田三成は親友とかいるからもっと性格は良かったと思いますし、慕われていたと思いますが)
楊儀はどういう性格だったのでしょうか。
「蜀書」楊儀伝には、心の狭い人だったと記載されています。
プライドが高く、すぐに憤激して口論する癖もありました。
この性格が災いして、上司の劉巴と衝突したこともあり、左遷されています。
猛将・魏延とは犬猿の仲だったそうです。斬り殺されそうになって泣いたこともあるとか。
でも諸葛亮孔明は楊儀をかばっていました。
魏延の死と追放
諸葛亮孔明が病没したとき、魏延は謀反するだろうと予測されて殺されます。
その首を踏んで楊儀は喜びを表したそうです。
そんな楊儀も諸葛亮孔明亡き後は重用されることはありませんでした。
そりゃそうです。人望のない楊儀では組織をまとめられません。
諸葛亮孔明もそれを見越して自分の後継者に蔣琬を指名していたようです。
プライドの高い楊儀は中軍師という役職に不満を漏らします。
ついつい、「諸葛亮孔明が病没したときに魏に降っておけばよかった」なんて文句を言ってしまいます。
それを密告されて楊儀は官位を剥奪され、追放されました。
そして楊儀は最終的に自殺という道を選ぶことになります。
蔣琬(しょうえん)としてはこれで蜀はまとまると一安心したようですね。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
そんな楊儀ですが、ファンになってくれる方はいませんか?
絶対に楊儀に共感できる人もいるはずです。
俺も会社(学校)でそうやって周囲や部下や後輩に虐げられてきた・・・・・・っていう方、
ここは楊儀のファンになってみませんか?
私としては嫌いじゃないですけどね。こういう不器用な人。
皆さんはどうお考えですか。
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