2018年のNHK大河ドラマ西郷どん、皆さんはご覧になっていますか?
Twitterなどでは、鹿児島弁が難しいや、理解できた等、色んなコメントがありますが中には、チェストってどういう意味ですか?というモノがありました。薩摩藩士が気合を入れる時、痛快な時、思わず出てくる言葉チェスト!こちらの意味と薩摩の土着剣術示現流について、解説します。
チェストの意味は?
調べてみると、チェストには複数の由来が存在するようです。
1「強くすっど」という言葉が縮まりチェストになった。
2難しく考えず実行せよ「知恵を捨てよ」がチェストになった。
3薩英戦争で英国兵と戦った時に挑発の為にチェスト(胸を狙え)と薩摩兵が自分の胸を指さした。
主な由来は以上の3つですが、もし3だとすると薩英戦争は、1863年なので、割と新しい言葉という事になります。
西郷隆盛は本当にチェストと言っていたの?
では、西郷隆盛(さいごうたかもり)は、本当にチェストと言っていたのでしょうか?西郷どんは子供の頃の事故で剣が握れなくなり、剣術からは離れたのでチェストと絶叫しながら剣を振る事はなかったかも知れません。ただ、チェストは、何も剣を使うときだけではなく、痛快な時や悔しい時や、気合を入れるときにも使うので、そういう意味では、西郷どん五十年の人生で一度もチェストと言わなかったとは考えにくいと思います。
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示現流とは何?
示現流とは、鹿児島で発祥した剣術の流派です。幕末には、あの新選組の近藤勇(こんどういさみ)さえ恐れ隊士に注意を促した程の攻撃性の強い剣術でした。示現流の開祖は、17世紀初頭の東郷重位(とうごうしげかた)という人物で、タイ捨流と天真正自顕流の皆伝を受け、この二つの剣術の長所を取り入れて示現流を興しました。
その剣技は一般に、一の太刀を疑わず、あるいは二の太刀要らずとされ、最初の一撃に全力をかけて、相手を一刀で斬り伏せる事を主眼とします。ただ、実際には二の太刀もちゃんとあり、初太刀さえ外せば示現流は無力というのは、俗説に過ぎないようです。
稽古も特徴的で、ユスの木の枝を適当な長さで切って木刀とし、「蜻蛉(とんぼ)」という左足を前に出し木刀を持った右腕を耳の上まで上げて左手を軽く添えるという構えをし、気合一閃、釣り竿を投げるように剣を振り下ろし、立木を右・左と打つというやり方です。
こちらの稽古をひたすらに行うのが示現流の特徴で、達人になると「キエーーッ」という猿のような雄たけびを上げ立木からは、摩擦で煙が出るという事です。流派の中でも、薬丸示現流は、この初太刀に特化しており、全速力で走り、エネルギーを保持したまま、蜻蛉の構えを取り斬撃で相手を斬り伏せては、また走りました。近藤勇は、「薩摩人と戦ったら初太刀はかわせ」と隊士に指示しましたがそれは薬丸示現流の使い手に対しての警戒のようです。もっとも、かわせと言われて、かわせるのは手練れだけでだからこそ、示現流は恐れられたのですが・・
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示現流とチェストの関係性
示現流とチェストには深い関係があるようです。それは、示現流の心構えに「知恵を捨てよ」があるからです。武術は考えてはダメです、それではワンテンポ遅れて斬られます。ブルース・リーの言葉にも、Don't think. feelってありますよね。意味は、「考えるな感じろ」です。
また、命のやり取りをしているときに、モノを考えたら怖くなり体も委縮してしまいますから、「知恵を捨てよ!」と言いながら剣を振り下ろしたのでしょう。こうして、示現流の心構えの知恵を捨てよ!から、チェストが生まれたという話もあるのです。ただ、示現流の諸流派がすべてチェストと言う訳ではなく薬丸示現流は、チェストではなく、キエエエエーー!という猿叫を上げて、相手を委縮させるそうです。
西郷どんとチェストについて考察したkawausoの独り言
西郷どんとチェストについて解説してみました。チェストの語源については、諸説あるのですが、その中の「知恵を捨てよ」が示現流の教えであり、これが訛って、チェストになったという説は、信憑性が高いのではないかと思います。
また、チェストは、気合いや悔しい時、自分を奮い立たせる時にも使用する事から、記録はありませんが、きっと西郷どんもチェストと口にしたのではないかと思います。はじめての三国志では、西郷どんが「おいどん」や、「ごわす」と本当に言っていたかも解説しています。宜しければ、こちらもご覧ください。
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