その昔、学問への高い志を持って大学の門をくぐった人も多いでしょう。大学で専門的な知識を学び、その知識を糧に研究に没頭。いつかは世のため、人のためになる発見をしたい…!そんな夢を抱いていたものの、新入生歓迎会でその志がポキリと折られるような思いをした人もいるのではないでしょうか?
「君、酒飲めるよね?」といきなりグラスにビールを注いでくる先輩。え?未成年なのに…二十歳以上に見えたのかな?断ろうとして先輩の顔を見ると、「ん?俺の酒が飲めないの?」リアルでこんなこと言ってくる人いるんだ…と妙に冷静に思いつつ、その後の関係を想うと断ることができない…。背徳感にビクビクしながら、今まで口にしたことのない独特の苦みを含むビールをチビチビ飲みながら、先輩のつまらない遊び自慢に相槌を打つ…。
今でこそアルコールハラスメントが問題になり飲酒の強要をしてくる人も少なくなりましたが、ほんの数年前まではこんなこともよくあったものです。未成年は法を犯すという行為を強要されるわけですし、成人していても、飲むのが苦手な人にとっては大変苦痛。断ることができずにお酒を飲みすぎて、急性アルコール中毒で亡くなってしまった人もたくさんいます。
アルハラ、ダメ!絶対!しかし、呉の名君として名高い孫権もそんな人の命を奪いかねない飲酒強要を嬉々としてやってのけていたとんでもないアルハラ暴君だったのでした。
アルハラの末、逆ギレする孫権
孫権が呉王に封じられた際、呉ではその祝賀パーティーが催されました。孫権は自分が主役ということもあり、浮かれに浮かれて大はしゃぎ。片手に酒器を携え、臣下の盃に酒を注いで回りはじめました。「もう飲めませんよ」という臣下にも「そんなこと言って、まだまだいけるだろう?」と酒をなみなみ注いでいく孫権。
普段は堅苦しくて難しそうな顔をしているのに、顔を真っ赤にしてフニャフニャと崩れ落ちる臣下の姿が孫権には面白くて仕方なかったのでしょうね。グデングデンになるまで酒を飲ませる孫権の振る舞いを不快に思った狂直の士として有名な虞翻は、既に飲みつぶれたふりをして孫権をスルー。虞翻に酒を飲ませることを諦めた孫権は他の臣下をつぶそうと虞翻の前を通り過ぎます。すると、虞翻はおもむろに起き上がり、何もなかったかのように酒を飲み始めたではありませんか!虞翻に小馬鹿にされたと感じた孫権は怒髪天。酔いも手伝い、虞翻を切り殺そうとします。
それでも反省できるのが孫権の名君たる所以
「おやめください、孫権様!ここで賢臣・虞翻を殺しては、王の名が廃ります!」刀を抜こうとする孫権を必死に止めたのは劉基でした。「何を言っている!あの曹操だって孔子の子孫である孔融を殺しているのだ!私が虞翻を殺すことに何の問題があるというのだ!」孫権は唾を飛ばしながら怒鳴り返します。
しかし、劉基も負けじと言い返します。「曹操は孔融を殺したことで多くの人望を失っております。孫権様は世に2人といない優れた主君でいらっしゃいます。どうか怒りをお鎮めください。」この言葉を聞いた孫権はハッとします。つまらないことに憤り、我を忘れて重臣を一人殺しかけた孫権は猛省。「自分が酔っ払っているときの命令は無効で」という号令を発したのでした。
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それでもやっぱり酔っ払ってアルハラしちゃう孫権
虞翻の一件でお酒に懲りたかと思われた孫権ですが、彼の酒癖は部下一人を殺しかけたくらいで治るようなものではなかったようです。なんと孫権はまたも醜態を晒してしまいます。酒が良い感じにまわって気が大きくなった孫権。再び酒器を片手に宴会場をフラフラ歩き回り、空いた盃に表面張力の限界を試すかのように酒を注ぎます。
それだけならまだ可愛かったものを、今度は既に酔いつぶれていた部下に酔い覚ましと言わんばかりに水をぶちまけ、更に酒を飲ませて楽しみはじめたのでした。酩酊して苦しむ臣下を見てニヤニヤ笑う孫権。これには孫策より受け継いだ重臣・張昭もお冠。帰り支度を始めます。
それに気づいた孫権は張昭に絡みます。「おい、張昭! なぜ帰り支度をしているのだ!」
張昭はピシャリと一言。「まるで殷の紂王ですな。」殷の紂王。それは妲己という美しい妾の虜となり、その妾の歓心を買おうとするあまり、重臣から民草に至るまで多くの人を苦しめた稀代の暴君でした。民草から税を搾り取り、私腹を費やして豪奢を極めた彼の生活ぶりは「酒池肉林」という言葉を後世に残すほど酷いものだったのです。
右頬をぶたれたような思いがし、一気に酔いがさめた孫権はすぐさま宴会をお開きにしたのでした。うーん。流石に張昭は孫権の操縦がお上手でいらっしゃる…。
※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。
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