部下がかわいくて仕方ない...孫権が好む配下の条件

2021年5月20日


 

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三国志を語るセンさん

 

今回ははっきり言って、筆者の妄想過多になります。

 

曹操に仕える陳宮

 

人材の登用は当主において不可欠、寧ろ優秀な人材をどれだけ多く自分の下に置いておけるか、それは三国時代に置いても変わらなかったでしょう。

 

曹操の再度仕官の勧誘を断る陳宮

 

しかしそんな状況下でも全ての人物と上手くやれる、いけ好かない人物とでも上手くやれるかどうかはまた別問題。

 

呉の小覇王・孫策

 

今回はそこを踏まえつつ、孫権(そんけん)とその兄、孫策(そんさく)との関係も考えてみたいと思います。繰り返しますが筆者の妄想成分過多です、お気を付け下さいませ。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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張昭

張昭

 

まずはこの人物をご紹介しておかなければなりません。張昭(ちょうしょう)は孫策の、そして孫権に仕えた人物です。彼は若い頃から優秀であり、それを聞いた朝廷が出仕を望むも断り、徐州(じょしゅう)陶謙(とうけん)招聘(しょうへい)も断って陶謙から軟禁されたことがあります。

 

張昭

 

そんな彼が選んだ主は小覇(しょうはおう)、孫策。孫策は張昭を重く用い、内政だけでなく軍事に置いて、様々なことを任せて信頼しました。

 

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孫策、没す

ほっぺたに矢を受ける孫策

 

しかしそんな孫策は凶刃に倒れることになります。死に伏した孫策は張昭、周瑜(しゅうゆ)を呼んで弟、孫権のことを頼みました。

 

「弟に君主の器が無き場合、貴公が政務を取ってくれ」

 

孫権と張昭

 

まるでどこかの国の皇帝が崩御した際を思わせる一言ですが、それを受けた張昭はその後は孫権を補佐します。この後に孫権の母が亡くなる際にも張昭は夫人に孫権を深く託され、その任に応えるべく一層努めるのでした。

 

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その関係

孫権と張昭

 

さてそんな張昭と孫権ですが、両者の間には決して仲が良いとは言い難いような話ばかり残されています。

 

赤壁(せきへき)の戦いの前に降伏を勧めた張昭に対して、戦いの後に孫権は

 

「貴方の言うことを聞いたら今頃私は乞食だったな」と意地悪いお言葉を放って、これに恥じた張昭は引退。赤壁の戦いは終わってみれば勝てたものの、当時はどうなるかなど分かってはいません。

 

曹操

 

曹操(そうそう)に刃向かえば孫権の命がないかもしれないので、それを踏まえれば張昭が降伏を勧めたのは間違いでもないのです。ちょっとこれは呉王様、意地が悪いと言えなくはないでしょうか?

 

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赤壁の戦い

 

その後

孫権と張昭

 

ここで引退を申し出たものの、その後も張昭は何度か孫権に意見をしていたようです。苦言とも言うかもしれません。その中には孫権に意見が聞き入れられず、閉じこもる張昭。張昭の言う通りだったので詫びる孫権。

 

孫権

 

出てこない張昭。孫権、なら出てくんじゃねーよとばかりに家の周りに土の壁を作らせる。張昭も張昭で中から壁を作る。怒り心頭の孫権火を放つ。張昭そのまま焼き殺されようとするので孫権慌てて火を消す……と、いうとんでもない話も残っています。

 

呉の孫権

 

ここまでになるなんて相当相性が悪かったんだな、と思うかもしれませんが、実はそうでもあったりなかったり。

 

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硬骨漢好き

魏の忠臣・徐宣(じょせん)

 

意志が強く、権力に屈さずに、例え上の人物であっても臆さず自分の意見を物申す人物を硬骨漢と言います。

 

蜀の外交官・鄧芝

 

この時代に分かりやすく言えば、鄧芝(とうし)とか(はん)シュンとかがそう言われますが、張昭もある意味そういった人物ですね。

 

潘濬(はんしゅん)

 

そして孫権は潘濬(はんしゅん)のような硬骨漢を気に入って良く用いました。

 

功績を上げ続ける潘濬(はんしゅん)

 

孫権はこういった、物怖じせずに直に言ってくるようなタイプに好感を抱くのです。その割に張昭との相性は最悪とも言えますよね。そしてここに、実は兄・孫策との関係を考えてみたのです。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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