権力者の重圧?酒癖の悪かった呉の孫権

2015年2月3日


 

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孫権に気に入られる孫覇

 

西暦200年、兄孫策(そんさく)の非業の死を受けて、19歳で呉の当主となった孫権(そんけん)

孫権に初代丞相として任命される孫卲(そんしょう)

 

その人柄は、謙虚で腰が低く、部下の意見にも素直に耳を傾け、古参の武将達が言う耳の痛い諫言にも応じる度量がありました。

孫権と三国アヒル

かと思えば、孫権は、護衛もつけずに、他の領主の土地まで駐屯したり、虎狩りのような命の危険があるスポーツを好むなど、父、孫堅(そんけん)、兄、孫策を彷彿とさせる激しい気性も持ち合わせています。

後継者争いで悩む孫権

しかし、いかに孫権が優秀でも、そこは人間です。孫権にも、非常に周囲に評判の悪い、悪癖が存在していました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫権の悪癖ってなに?

酒癖が悪い孫権

 

それは何かと言うと、ズバリ「お酒」だったのです。

 

呉お正月企画、お酒にまつわる逸話07 孫権

 

若くして、呉の領地と家臣団を任された重圧からか、元々から酒が好きだったのか、孫権は酔いが回ると酒宴に参加している部下に、執拗に酒を注いで回り、酔い潰れて寝てしまう部下がいると、これに水を掛けてまで起こし吐くまで飲ませたと言います。

 

皇帝になることを決意する孫権

 

西暦、221年の事、魏の曹丕(そうひ)が後漢を滅ぼして、魏の文帝(ぶんてい
)
として即位すると孫権は、形式上その配下に入り、(ごおう)に任命されます。

周泰(しゅうたい)の全身の傷を解説する孫権

 

その呉王の就任祝いの酒宴でも、孫権は飲みが過ぎ、また部下に吐くまで酒を飲ますという悪癖が始まりました。その事を嫌がった、虞翻(ぐほん)は、したたかに酩酊した演技をし孫権の悪癖をやり過ごしていました。

 

呉の孫権

 

孫権が、虞翻の前を通過すると、彼は平生に戻り何食わぬ顔をして座ったので孫権は、激しく激怒します。そして「貴様!酔ったフリをして余の杯を避けるのか!」と剣を抜き放って虞翻を斬ろうとしました。

後悔する孫権

 

そこを劉基(りゅうき
)
という人物が必死になって孫権を取りなします。孫権は酔いが醒めてから、この事を思い出し、顔色が青くなったと言います。

 

「もし、劉基が取りなさなかったら、たかだか酒宴のトラブルで部下を斬っていた所だ、恐ろしい、、これは反省しないといかん」

 

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孫権の殺害命令は無効になる?

孫権 弔い出陣

 

以降、孫権は、自分が三杯以上の酒を飲んで、出した殺害命令は、無効だから実行しないようにと命令を出しています。ただ、この虞翻、人づきあいが下手で毒舌家であったようで、人間関係のトラブルを度々起こしていた問題児ではあったようです。

孫権と張昭

 

以前、張昭(ちょうしょう
)
と孫権が、神仙(最高位の不老不死の仙人)は実在するのか?

と議論をしていた時に、虞翻はこれを小耳にはさんで嘲笑い、

劉雄鳴は三国志の仙人

 

「おいおい死人同士が、神仙がいるかどうか議論しているぞ、そんなモノいるわけがないのに、、」と毒舌を吐きました。

 

呉の孫権

 

これを聞いた孫権は、以前から毒舌で周囲から評判が悪い虞翻にたまりかねて怒り彼を左遷しています。とまあ、このように孫権は、思慮深い部分と気性が激しい部分が同居している多面的な人物でした。

 

孫権の失態

孫権 冠

 

若い頃は自制心と内省が勝った孫権ですが、晩年は呉の国力が充実し、魏も蜀も国内事情から、呉にとって脅威にならなくなった事で慢心してしまいます。

後継者争いを放置する孫権

 

そして、内省と自制心が薄くなり、好き勝手な振舞いが多くなり呉の国力は次第に衰退していく運命を辿るのです。

 

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呉の武将

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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