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やる気あんのか!?董承のペラペラ曹操暗殺計画

2018年7月29日


 

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曹操

 

暴政によって民草を苦しめた董卓(とうたく)呂布(りょふ)と仲違いして殺された後、

董卓の元部下たちはその死を悼むこともなく献帝(けんてい)をめぐって小競り合いを繰り広げました。

 

そのいざこざの中で長安に無理矢理連れ去られていた献帝は

紆余曲折を経て洛陽への帰還を果たします。

その帰途で献帝に恭しく付き従っていたのが董承です。

 

しかし、その献帝を横取りしようと虎視眈々と狙っている者の姿が…。

そう、曹操(そうそう)です。

曹操は献帝を庇護するためだと

ようやく帰還を果たしたばかりの献帝を洛陽から許に連れ帰ったのでした。

 

曹操は董承(とうしょう)がその同僚・韓暹(かんせん)らと小競り合いをはじめた際に

董承にとっての邪魔者を追い出す役割を果たしますが、

それによって今度は曹操の力がますます肥大化。

 

献帝を皇帝と思っていないような曹操の不遜な態度に献帝も恐れを抱きます。

曹操を除きたいと考えた献帝は董承の懐に曹操を暗殺するようにとの命を書いた詔書を忍ばせます。

そこで董承は曹操暗殺プランを練り始めたのでした。

 

関連記事:世界一お粗末! 菫承の曹操暗殺計画。間男の恨みでぶち壊しに!

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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漢王朝復興の同志を募る

董承

 

漢王朝再興のために曹操を暗殺する密勅を受けた董承はまずは志を同じくする者を求めます

董承は献帝への忠誠心の高そうな人を注意深く観察した上で厳選し、

自宅に招いてこっそりと血判状を募りました。

 

曹操の主治医であったとされる吉平(きっぺい)や皇族の末裔であるという劉備(りゅうび)を含めた幾人かが

次々に曹操暗殺を決意する血判状をしたためました。

曹操を慰める劉備

 

そして董承はくれぐれも計画のことは内密にするようにと念を押した上で

彼らを家から送り出したのでした。

 

このようにして仲間も十分に集まりいよいよ曹操暗殺を実行の日が近づいてきたというとき、

ある事件が起こったのです…。

 

妾の浮気が発覚

董承

 

董承には本妻の他に妾がありました。

しかし、董承は献帝のために奔走していて妾にかまっている暇などありませんでした。

そんなわけで、退屈だった妾・雲英(うんえい)はあろうことか董承の下僕のイケメン男子・秦慶童(しんけいどう)を誘惑。

暇さえあれば寝所でイチャコライチャコラしていたそうです。

朝から晩までおかしな様子の2人は当然使用人たちの間で噂になります。

 

そして当然と言うべきか、すぐにその噂は董承の耳にも届いてしまったのです。

董承は当然怒り心頭。

浮気調査団チーターズよろしく浮気現場に突撃!

2人をとっ捕まえて殺してやろうと剣を振り上げます。

 

「おやめください!」

そう叫んだのは雲英ではなくなんと董承の本妻でした

 

董承が妾に浮気された挙句妾もその浮気相手も殺してしまったとなれば、

浮気されただけではなく

その狭量さを世間で噂されてしまうのではないかと董承の本妻は心配したのでしょう。

 

それを聞いて董承もいくらか冷静になったもののやはり2人に対する怒りは静まらず、

杖で20回ずつ打って2人を放免したのでした。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志  

董承、許すまじ…

秦慶童

屋敷から着の身着のまま放り出された秦慶童は、

杖で打たれてヒリヒリと痛む体をさすりながら

ある人のもとに向かったのでした。

 

ある人とは、曹操その人です。

秦慶童は曹操に董承の企みを洗いざらいぶちまけて恨みを晴らそうと考えたのです

 

しかしなぜ秦慶童が曹操暗殺計画を知っていたのでしょうか?

それは、董承が妾・雲英に事の次第を洗いざらい喋っていたからなのです…。

 

協力者に対して内密にと釘を刺していたというのに、

董承自身がペラペラと妾に計画を喋っていたのでは仕方ありません。

 

まぁ董承もまさか妾が他の者に喋ってしまうとは思ってもみなかったのでしょうが…。

 

曹操、間一髪

曹操

 

そんなこととはつゆ知らず、董承は吉平と共に暗殺計画を実行に移します。

吉平が曹操に薬だと言って毒を飲ませる作戦です。

 

いつもならさっさと薬を飲む曹操ですが、

じっと薬を見つめている曹操。

 

「これは毒薬ではないのか?」

バレるはずがない目論見がバレて狼狽える吉平。

それを見て曹操の顔はみるみる内に怒りの色で染まっていきます。

 

そうです。

秦慶童の密告によってこの計画は曹操にバレてしまっていたのです

 

曹操はすぐに吉平を捕らえて拷問にかけ、暗殺に関わっている人物を聞き出そうとします。

ところが、吉平は口をかたく閉ざして何も答えず、しまいには自ら死を選んだのでした。

   

暗殺者をご招待

董承を攻める曹操

 

吉平が共犯者たちをかばったところで、

既に血判状に名を連ねた者たちの名前は秦慶童によって明かされていたので

曹操にとっては痛くも痒くもありません。

 

曹操は出かけていた劉備と主犯者である董承を除く

血判状をしたためた者たちを宴会にご招待。

ノコノコと訪れた彼らをとっ捕まえたのでした。

 

そして最後にいよいよ主犯者である董承をおびき寄せます。

曹操はしらを切りとおす董承の前に秦慶童を引き出して証言をさせたため、

董承は観念せざるを得ませんでした。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

曹操はその後、董承だけではなく、董承の一族全員を処刑しました。

その中には献帝の子を妊娠していた董貴妃(とうきひ)の姿もあったのだそうです…。

 

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