正史三国志に出てくる各国の名士の書簡を見比べてみると、諸葛亮の手紙は殴り書き同然のように見えてしまうほど短くて簡潔なものばかりでした。そこで思い浮かべたのが、第二次世界大戦の時にイギリスで挙国一致内閣を率いた政治家、ウィンストン・チャーチルです。
チャーチルはだらだらと長い文章が嫌いで、政府各局に「報告書は、要点をそれぞれ短い、歯切れのいいパラグラフにまとめて書け」「正式の報告書でなく見出しだけを並べたメモを用意し、必要に応じて口頭でおぎなったほうがいい場合が多い」などの指示を書いたメモを渡していました。諸葛亮もチャーチルもいろいろやって忙しい人だったので、長文の読み書きに時間を費やしていられなかったのでしょう。ということで本日は、諸葛亮とチャーチルって似ているかも、という話題です。
勉強に対するスタンス
チャーチル
正史三国志諸葛亮伝の注釈に引用されている『崔氏譜』によれば、諸葛亮は浪人時代、友人たちが書物の細かいところまで精読しているのを尻目に、自分は文章の大略だけを把握するような勉強法をとっていました。チャーチルは中等教育の頃にはラテン語やギリシア語の勉強が嫌いで、興味のある学問にしか身を入れませんでした。後年のチャーチルの言葉にはこのようなものがあります。
「本を全部読むことができぬなら、どこでもいいから目にとまったところだけでも読め。また本は本棚に戻し、どこに入れたか覚えておけ。本の内容を知らずとも、その場所だけは覚えておくよう心掛けろ」一字一句を追わずとも、どこにどんなことが書いてあったか分かればよいという読書スタイルは、諸葛亮とチャーチルに共通しています。
便利道具の開発
正史三国志諸葛亮伝によれば、諸葛亮は生まれつき創造力があったそうで、連射式の弩である連弩や、輸送装置の木牛や流馬を考案しています。チャーチルは1911年に海相に就任すると、石炭に代って重油を燃料とし、より大きな大砲を備えた高速戦艦を建造させました。また、当時はまだおもちゃ感覚で利用されていた飛行機を本格的に軍事投入することを考え、海軍航空部を作り、自分でも飛行機を操縦しています。
チャーチルといえば “戦車の父”と記憶している方もいらっしゃるのではないでしょうか。チャーチルは塹壕戦の現場における装甲車両の必要性を強く感じ、戦車の開発を推し進めました。チャーチルの場合、諸葛亮のように自ら考案したわけではありませんが、兵器の開発に熱心であったことは両者に共通しています。
兼任で超多忙
正史三国志諸葛亮伝によれば、諸葛亮は丞相やら録尚書事やら司隷校尉やら益州牧やらといろいろ兼任し、政治は大きな事も小さな事も諸葛亮が決済したといいます。
楊戯伝に付されている『季漢輔臣賛』の注釈に引用されている『襄陽記』によれば、諸葛亮は主簿の楊顒からなんでも自分でやり過ぎだと諫められ、働き過ぎだと心配されています。諸葛亮伝の注釈に引用されている『魏氏春秋』によれば、司馬懿は諸葛亮の仕事量と食事量を聞くと「諸葛亮はもう死ぬだろう」と言ったそうですが、実際、諸葛亮は遠征中に病気になり陣没しました。チャーチルは第二次世界大戦の時に首相と国防省を兼務しており、あまりにも多くのことをしようとしていると批判を浴びていたそうです。チャーチルは1943年に二回、肺炎で臥せっています。
挙国一致内閣
蜀の人材には劉備に昔から付き従っていた北方出身の人たちや、劉備が荊州にいた頃に仲間になった人たちや、劉備が益州に入った時に配下になった人たちがいました。このように立場の違う人たちがいる政権でしたが、漢王室再興の旗印のもとに、諸葛亮はリーダーとしてみんなをまとめて北伐を行っていました。チャーチルは第二次世界大戦の時、保守党、労働党、自由党を包括した挙国一致内閣を作り、ドイツの脅威と戦いました。
さまざまな立場の人をまとめて外の脅威にあたったところも諸葛亮とチャーチルの共通点です。
諸葛亮は第一次北伐の前に皇帝に上奏した「出師の表」の中で「駑鈍を竭くす」(能力の限りを尽くす)と言っており、チャーチルは首相になった時の演説で「私には、血と労苦と涙と汗以外に差出すべきものは何もないのである」と言っています。
こういう、とにかくがんばります、という感じも、似ていますね。
※駑鈍:鈍才。(自分の能力のことをへりくだってそう言っている)
三国志ライター よかミカンの独り言
このように共通点の多い諸葛亮とチャーチル。チャーチルは豆タンクのように精力的な人でしたが、諸葛亮もそのような人だったのではないでしょうか。しかし、チャーチルの身長は167センチ、いっぽう諸葛亮は180センチを優に超える長身です。背の高い諸葛亮がチャーチルのように骨太であったなら、豆タンクではなく北斗の拳のケンシロウのような体格になるのではないでしょうか。
李厳はいいかげんなことを言って諸葛亮に糾弾されたことがありますが、もしも私が李厳だったら、目の前に立ったケンシロウが「李厳、これはどういうことかな」と言っただけで “ハイ死んだ!”と思ってしまいそうです。ひでぶ!
参考文:
『三国志 四 蜀書』中華書局
『正史三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫 井波律子 訳 1993年4月7日
『理系の作文技術』中公新書 木下是雄 1981年9月22日
ブリタニカ国際大百科事典
Wikipedia
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