三国志最強と言われた呂布。
呂布は曹操に敗北した事で命を落とすことになりますが、曹操が呂布勝つことが出来たのは、荀攸のおかげだったのを皆さんご存知でしょうか。どうして荀攸のおかげで呂布に勝つことが出来たのか。
それは荀攸が曹操へ提案したいくつかのグッドアドバイスのおかげだったのです。
状況を見定めたグッドアドバイス
曹操は呂布討伐を決意した時、曹操の領地の近くには曹操を追い詰めた張繍と劉表の連合軍が存在していました。曹操の家臣達は「劉表と張繍がいる状態で呂布へ攻撃を仕掛ければ、彼らが攻め込んでくるので、やめた方がいいと思います。」と曹操へアドバイス。
しかし荀攸は「劉表と張繍は我らに敗北したばかりで、攻撃を仕掛けてくることはないと思われます。対して呂布は反乱を起こしたばかりで領内を一つにまとめ切れていない状況で、攻撃すれば勝つのはたやすいでしょう。」と進言。
曹操は荀攸のアドバイスを採用し、呂布攻略へ出陣することになります。荀攸は適切に張繍と劉表軍の内情を見極めたアドバイスをした事が、曹操が呂布を討伐するきっかけを作ったと言えるでしょう。
もしこの時、荀攸が呂布討伐に反対していれば、呂布の勢力内がしっかりと統治され、呂布を討伐するのが難しくなっていたと思います。
苦戦する曹操軍
曹操は荀攸のアドバイスを採用して呂布討伐を開始。
呂布は曹操軍を迎撃するために出陣してきますが、曹操軍の攻撃を食い止めることができずに連戦連敗して下邳城へ籠城します。曹操は呂布を下邳城へ追いつめると下邳城を包囲し、攻撃を行いますが、呂布軍の必死の抵抗にあってしまい、下邳城を攻略することができず苦戦。
そのため曹操は一旦下邳城攻略を諦めて撤退しようと考えていました。
グッドアドバイスを行う荀攸
荀攸は呂布が下邳城を曹操軍が攻略できずに苦戦している状況を打破するべく、下邳城周辺の地形の下見を行います。
荀攸は地形の下見が終わると曹操へ「我らは呂布と三回戦い、三度とも勝利をおさめ、下邳城へ追いつめていますが、わが軍は呂布軍の勇猛さに手を焼いて苦戦している状況です。
この苦戦している状況を打ち破るには、下邳城を水攻めするのがいいでしょう。下邳城近辺には流れる沂水と泗水の川が流れ、この川の水を下邳城へ流し込めば、城門を簡単に打ち破ることができると思われます。」と戦術をアドバイス。
この荀攸の作戦は曹操軍の軍師・郭嘉も賛成します。曹操は自分の軍師達の中でもトップクラスの戦術眼を持っている二人が賛成している為、二人の作戦を採用し水攻めを実行。
荀攸と郭嘉が計画した下邳城の水攻め作戦は大成功。
呂布は下邳城が水攻めされた事で、曹操軍を打ち破ることができず苦戦し、部下に裏切られた事で曹操軍に敗北します。曹操は荀攸のグッドアドバイスで、退却することなく呂布を打ち破ることが出来たと言えるのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
荀攸は曹操の軍師として仕えてから、亡くなるまで多くの戦場に軍師として従軍。荀攸は戦場へ出陣すると曹操へ的確なアドバイスをいくつも行い、戦を勝利へ導いたそうです。
荀攸は曹操に行った献策の全てを親族や従妹など一族に秘密にしていたそうです。そのため荀攸が曹操へどのような献策をしていたのか後世の私達が知ることができません。
しかし荀攸は曹操へ誰も思いつかないようなユニークな作戦や曹操軍が置かれた状況をしっかりと把握して、その状況を打破する事ができる的確な作戦を提案していたと思うのはレンだけでしょうか。
■参考 正史三国志魏書など
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