三国志を読み進めると「禅譲」という仏教用語のような言葉が登場します。現代社会では聞き慣れない言葉なので理解しづらい読者もいるでしょう。
ここでは三国志の皇帝についてまわる禅譲について、わかりやすく解説していきます。
世襲と禅譲の違い
世襲政治、世襲制などはニュースで聞いたこともあるでしょう。政治家の息子が国会議員になったり、天皇陛下の子どもが後を継ぐことです。
ここでのキーポイントは血縁関係です。政治家の子どもに女の子しか生まれなかった場合、婿養子を取ることがあります。それは自分の後を男の子に継いでほしいからです。女性の社会進出が珍しかった明治期から昭和期にかけて行われました。
一方の禅譲ですが、血のつながりは必要ありません。皇帝に仕える有力者であることが条件です。皇帝の子ども以外で権力の座につけるとすれば、皇帝と肩を並べるほどの力を王宮で誇示していた人物です。
多くは大臣や将軍などが禅譲の対象となります。
禅譲されると国の名前を変えられる
後漢の「献帝」から禅譲を受けたのは曹操の子どもの「曹丕」です。親の七光りのような印象を受けますが、曹丕もなかなかの政治手腕を奮っていました。
三国志では曹操が令名を馳せましたが、魏の国の初代皇帝は曹丕でした。
それは後漢という国家から権力を受け継いだことを意味します。禅譲を受けると新しい国名を付けられます。
そのため、曹丕は国名を後漢ではなく、「魏」としたのです。もし、献帝が子どもに世襲で権力を移していたら、国名は後漢のままでした。
禅譲が行われるということは一つの国家の滅亡を表すのです。同時に新しい国家の”誕生”も意味します。
もし、あなたが皇帝から禅譲を受けるとしたら
あなたは帝国の大臣です。皇帝を殺して権力を奪ってもいいですが、穏便に事を運びたいとします。
なぜなら、皇帝を殺して自分が帝位に就いたとなると民衆の支持を得られないからです。
それには皇帝がイエスと言えるような状況を作り出さなければいけません。
周辺の大臣を自分の友達で固め、皇帝に進言できるぐらいの兵器や兵力も必要です。また、皇帝の親戚に自分の娘を嫁がせるのもいいでしょう。うまく根回しをして王宮内での自分の地位を高めるのです。
しかし、時代のニーズに答えていないといけません。飛ぶ鳥を落とす勢いの皇帝がいるようでは、簡単に蹴落とされてしまいます。
従って、禅譲される皇帝というのは往々にして国家が崩れかかっている状態に行われます。
禅譲のメリット
基本的に儀式によって皇帝の座を”譲る”ので前の皇帝、つまり献帝が殺されることはありません。皇帝の地位は消えても待遇は保証されます。地位も大臣かその下ぐらいの地位をもらえます。
中国では失態を犯すと一族郎党が滅ぼされますが、”禅譲”では殺されません。
一族郎党の滅亡とは親戚や家臣、部下もみな殺されることを意味します。
一家だけでなく、関係者も殺されるのです。
それを禅譲という形をとることで防ぐことができます。さらに禅譲を受ける側の”曹丕”は兵力を減らすこともありません。
根回しという頭脳労働が求められますが、兵力を温存しているため、周辺国の呉や蜀から攻撃を受けることはありません。
もし、内戦などで国家が交代すれば、そのスキを狙って呉の孫権や蜀の劉備が攻めてこないとも限りません。対外関係もバランスを保ったまま国家交代できるのが禅譲のメリットでもあります。戦闘状態にない日本ではイメージしづらいですが、他国に侵略されるのは国家のトップが交代するより危険な状態なのです。
三国志ライター上海くじらの独り言
言葉からはイメージしづらい禅譲ですが、簡単にいうと控えめなクーデターです。血も流れませんし、前の皇帝もその後の地位を保証され、安心して暮らせます。
いわば新しい国家から多額の年金をもらって余生を過ごすようなものです。その代わり国内政治には口出しさせないという状態、それが禅譲です。
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