宛城の戦いでは、曹操は張繍の奇襲を受けて敗北、逃走します。その曹操を救うために幾人もの武将たちが戦いますが、その中に于禁という武将の記述が出てきます。
于禁に関しては三国志全般の中でも評価が分かれると思いますが、今回は宛城の戦いでの于禁の行動に注目しながら彼の性格を知っていきましょう。
張繍の奇襲によって窮地に陥った曹操
曹操は宛城にいた張繍を降伏させますが、色々あってその後二人の仲は険悪なものになります。
曹操は先に張繡を暗殺しようとするもその行動がバレてしまい、先に張繡による奇襲を受けることになります。夜の闇に紛れて曹操は這う這うの体で逃げ、しかもその果てに嫡男、甥っ子、大切な部下を失います。
さて他の曹操の配下たちが曹操を救出するべく駆け付け、戦います。その武将たちの中に于禁もいました。戦線は大混乱していましたが于禁だけが戦いながら退却をして、曹操の撤退を手助けする一因となりました。そんな中である問題が起こります。
青洲兵にも容赦をしなかった規律正しい人間だった于禁
かつて黄巾賊として働いていた人物たちは、曹操の配下である青洲兵となっていました。
青洲兵はまだまだ兵の少なかった曹操にとってはありがたい存在だったのか、曹操は青洲兵に対してかなり甘い対応を取っていたと言われています。
そんな青洲兵が、この危機的状況にも関わらず味方に対して略奪行為を行いました。当然ながら軍律違反です。于禁はこれを厳しく責め、于禁を恐れた青洲兵は逃走しました。そして曹操に于禁のことを告げ口をしたのです。
普段から青洲兵に甘い曹操ですから、于禁の配下は急いで曹操のところに行って弁解をするように于禁に薦めました。
「いにしえの名将にも勝る将よ」 by 曹操孟徳
しかし于禁はこれに取り合いませんでした。于禁は自分の身を守るために曹操の元に行くよりも、敵に備えて迎撃することを重要視したのです。于禁は配下たちと共に陣を敷き、敵と戦う準備を入念にしてから曹操の元に向かいました。そうして改めて何が起こったのか曹操に説明したのです。
曹操は于禁のこの振る舞いに喜び、上記の言葉を残しました。そうして于禁を惜しみなく称賛した曹操は、より一層于禁を重く用いるようになったと言います。
規律に正しい人ほど嫌われてしまうのは仕方のないことかもしれません。しかしそこに一切の弁解をせずに己の責務を全うするというのは、中々できるものではないでしょう。曹操もそれを分かっていたからこそ、于禁を重用したのでしょうね。
于禁という人物像
さて宛城の戦いのこのシーンから于禁という人物像が見えてきます。
良くも悪くも「糞真面目」というのが、正直な于禁のイメージです。それを裏付けするように、規律に厳しかったことから于禁は部下たちや同僚からもあまり好かれてはいなかったようですね。しかし周囲から嫌われている人物というのは、当然ながら消されるもの。
それなのに于禁は嫌われている一方で、そこまで周囲から排除するようにというような存在ではなかったのです。青洲兵がやったように、曹操に于禁に関して告げ口をするような箇所はいくつかあっても、本気で于禁をどうにかしようという人物はいませんでした。
それは于禁が自分に対しても厳しく、清廉潔白な人柄であったからではないかと思っています。他人に厳しく自分に甘いなんて人は早々に見切りを付けられたり、下手をすれば引きずりおろされる時代です。
その中でも周囲に嫌われていたが、そんなことはされなかった于禁。そこに于禁の真面目な、真面目すぎる性格が如実に表れていると思います。
そんな于禁ですが、樊城の戦いで最期にとんでもない経歴を作ってしまいます。このせいか、後年の于禁のイメージはあまり良いとは言えません。しかしそこまでに至る于禁の性格を読み取って、改めて于禁という武将の評価をして欲しいと思いました。
三国志ライター センの独り言
皆さんの于禁のイメージは、どんなものでしょうか?
于禁はどうしても最期のイメージが強く、そこまで優秀な武将ではないと、下手をすれば情けない武将だと誤解している人も多いかと思います。しかし私は「人間の評価は必ずしも本人の行動だけで決まってはくれない」そんな印象を抱かせる、三国志の英雄の一人だと思います。
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