日本において一番人気がある歴史ジャンルは戦国時代です。何を根拠に?と言われると思うので、NHK大河ドラマの本数で考えると戦国時代を舞台にしたものが18本と次に人気がある幕末の12本を上回っています。
しかし、弥生時代から見ても2000年の日本の歴史で、どうして戦国時代が一番人気なのでしょうか?
この記事の目次
戦国時代に地方は主役になる
どうして戦国時代が人気があるのか?
大きな理由は戦国時代が日本史上初めて到来した地方の時代だからです。戦国時代以前の日本では、国司や地頭、守護というような中央の意向を受けた支配者が税を徴収したり、必要な土木工事やインフラ整備をするためだけに土地にいました。
これらの支配者にとって任地というのは、自分のキャリアを上げて中央に返り咲く為の腰掛であり、ぶっちゃけ前任者より悪い政治をしなければそれでよいものでした。
こういう国司や地頭が、真摯に地方の住民と交わろうとするわけはなく、双方は搾取するほうとされるほうという交わらない関係で、庶民の方でも支配者に悪感情は持てど、良い感情はなく、よくて無関心という程度の事です。戦国以前の地方は京都という光輝く中央に対し全くのわき役でした。
戦国大名は身近な支配者だった
室町時代になると、地方の支配者は守護大名になります。守護は荘園から年貢を半分取り立てる半済という権限を認められ、軍事だけではなく経済的にも富裕になっていきますが、守護大名はほとんどが京都常駐を義務付けられていたので、土地の住民との交流は希薄でした。
しかし、応仁の乱を前後にして、守護大名の立場も激変。それまで室町将軍の権威で土地を支配していられたのが室町幕府が弱体化したので、自分の軍事力で領地を守らないといけなくなったのです。
それは、守護大名が直接に土地の住民を兵力として動員したり、年貢を取り立てたり、直接に支配力を行使する事を意味していました。ところが同時に搾取するだけでは土地の住民に愛想を尽かされてしまいます。
そこで、開墾を奨励して耕作地を広げたり疫病が起きたら年貢を減免したり、救い米を出したりと、これまでとは比較にならない程に土地に密着した統治を開始します。
これにより、地方は土地の戦国大名と庶民が運命共同体となり、苦しい生活ながら土地の支配者と生死を共にするという認識が出来上がりました。戦国時代の到来により中央集権がほぼ崩壊し、地方に割拠したローカル権力者の戦国大名が土地の住民の支持を受けて隣国と鎬を削るようになったわけです。
戦国大名の事績後北条氏
そんな戦国大名は、頻繁に合戦をしていたとは思えないほど領国内の内政に気を配りました。例えば、関東圏を地盤とする小田原北条氏は、直轄領では日本史上最も低いと言われる四公六民の税制を敷いていました。
さらに、不公平が出ないよう北条氏は、代替わりの度に大掛かりな検地を行い石高の増減収を把握し、段階的ながら徴税を在地の国人に任せず、村に責任を持たせ中間搾取が出ないようにするなど善政を敷いています。
戦国大名の事績甲斐武田氏
武田信玄で有名な山梨県は甲府盆地を有するものの、釜無川、笛吹川の二大氾濫で利用可能な耕地が少ないので、信玄は大名権力で治水事業と新田開発を行いました。例えば、御勅使川と釜無川の合流地点である竜王では信玄堤と呼ばれる堤防を築き上げ、河川の流れを変え耕作地を産み出しています。この信玄堤は、現在でも一部は使われている程で山梨県民は信玄と呼び捨てせずに信玄公と敬称をつけて呼ぶそうです。
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