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今日のkawauso14「樊城攻めは関羽の単独行動」

2020年8月18日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし内容に納得がいかないkawauso様

 

8月15日、23:00から、はじ三の読者ちゃんとライブチャットをしていましたが、

Aki vekklaさんとポケモンGOさんから、どうして劉備は関羽が襄陽と樊城を囲んだ時に兵を出さなかったのか?という疑問を頂きました。

確かに、その直前に劉備は曹操を撃退しているわけだし、孟達と劉封を派遣して上庸を奪取しているわけで、出来なくもない感じがします。

五虎大将軍a 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

しかし、正史三国志を読むと、どうも時系列が変です。

関羽の出兵時期と劉備が漢中を攻略している時期が重なり、この両者は本当に連絡を取り合えたのだろうか?と疑問に感じるのです。

 

もしかすると、関羽の襄陽・樊城攻めと、劉備の漢中攻略は、無関係に同時進行で進んでいた事で、それを劉備は後追いで追認する為に前将軍なんて将軍号を贈ったんじゃないでしょうか?

 

劉備が関羽に襄楊と樊城を攻めよと命じた記録は先主伝にも関羽伝にも出てきません。

もしかすると全ては関羽の単独行動かも知れないです。

以前、kawausoは関羽は群雄だったという記事を書きましたが、どうも、このフリーハンドぶりは、そうなんじゃないかという考えを深くします。

 

蜀ファンに衝撃!実は関羽は劉備の部下ではなく群雄(同盟主)だった!?

 

これは近いうちに時系列を比較しながら詳しく書きますが、陳寿はペテンをやっているのかも知れません。

 

前回記事:今日のkawauso13「三国志記事告知&youtubeライブ配信」

 

樊城の戦い特集

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき