少し前に、鄴は巨大な監獄だったのでは?という記事を書いたけど、
今日も正史三国志、曹爽伝に付属する魏略が引く丁謐伝に興味深い記述を見つけた。
丁謐は、大和年間には、いつも鄴に居住し人の空き家を借りて住んでいた。
ところが諸王の一人も、ここを借りようと思い、すでに丁謐が借りているとも知らずに
門を開けてズカズカと入り込んできた事があった。
丁謐は王の姿を見ていながら足を組んだまま横になって起きようともせずに、下男に命じ「あれはなんだ!すぐに怒鳴りつけて立ち去らせろ!」と言いつけた。侮辱を受けた王は、すぐに宮廷に登り、曹叡に一部始終を告げた。
曹叡は無礼であるとして、丁謐を鄴の監獄に放り込んだが、彼が功臣の息子であると知って釈放した。
色々な事が分る記述で、
①当時の鄴で家を貸す商売があったらしいという事。
②その家を曹氏の王族が借りる事があったという事。
③丁謐に侮辱を受けたのに曹叡に泣きつかないと何も出来ないレベルで諸王の権力が弱そうだと言う事。
そして、監獄に放り込んだという記述、、やはり鄴には大勢を収容する監獄があったのではなかろうか?
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