曹真の功績はどうして見ない振りをされている?問題児の息子が影響?

2020年8月25日


 

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雨の中進軍する曹真

 

曹真(そうしん
)
と言えば三国志演義被害者の会の第一人者とも言える存在。正史で見ると驚くほど優秀、曹一族の中にあってもきらりと輝く有能さは隠せない人物です(贔屓目込)。

 

孔明の計画をぶちこわす曹真

 

しかしそんな曹真の上げた功績の数々はどうしてあそこまで見ない振りをされてしまったのか?

今回はそんな曹真の功績と息子たちについて、お話していきましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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順調な出世している曹真

魏の重鎮になった曹真

 

正史三国志を見ていくと、曹真は順調に出世していきます。劉備(りゅうび)との戦いで戦功をあげていき、夏侯淵(かこうえん
)
が戦死した後には陳倉(ちんそう)に駐屯。

 

後ろ向きになって弓矢を放ち虎を倒す曹真 虎豹騎

 

魏の建国後は鎮西将軍(ちんぜいしょうぐん)となり、雍州(ようしゅう
)
涼州(りょうしゅう
)
の軍事を統括する任務を帯び、異民族や領内の反乱を鎮圧するなど、守勢、反乱鎮圧と数々の面で魏を支えた武将と言って良いでしょう。

 

後を託される信頼

皇帝に就任した曹丕

 

そんな曹真は曹丕(そうひ)にも信頼されていました。曹丕の四友(よんゆう)とはまた違う立場だったにも関わらず、曹丕はその死の間際に跡継ぎの曹叡(そうえい)の補政を陳羣(ちんぐん
)
司馬懿(しばい)と共に曹真にも託しています。

 

陳羣と曹丕

 

陳羣、司馬懿が四友だったことを考えると、曹真はその立場ではなかったものの、同じくらいに信頼を得ていたのではないかと思います。

 

功績を挙げていく曹真

バチバチやりあう孔明と曹真

 

曹真は曹叡が即位すると大将軍となり、諸葛亮の北伐を見事に防いでいます。最初の北伐では落とされた三郡を奪還、趙雲(ちょううん
)
らを退け、その後には再び諸葛亮(しょかつりょう)が攻め込んでくることを予見してしっかりと対処……正に名将!

 

行軍する兵士達a(モブ)

 

その功績を認められ230年に曹真は大司馬(だいしば
)
となり様々な特権を与えられるようになりました。この時に防衛だけでなく蜀に攻め込むことを提案しますが、これには失敗。と言っても敗退ではなく、季節雨による撤退なので、大打撃を受けたということはありません。むしろ良く撤退を決意したものだとも言えるでしょう。

 

こんなに優秀だったのに

洛陽城

 

撤退を決意した曹真はそのまま洛陽(らくよう)に戻るも、重病にかかります。この際に皇帝であった曹叡が自ら見舞ったとあるので、国としても憂うべく状況だったのでしょう。

憤死する麋竺(モブ)

 

しかし曹真は回復しないまま、死去。

 

曹叡

 

曹叡によって「生前の曹真は厚遇を受けた身でありながら寛容かつ謙虚であった」として元侯(げんこう
)
諡号(しごう)を送りました。曹真が武将としての有能さだけでなく、人柄までもを評価されていたことが良く分かりますね。

 

三国志演義_書類

 

そんな曹真、どうして三国志演義になると功績のほとんどを無視されてしまったのでしょうか。それを説明するには、曹真の息子たちがカギとなります。

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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