何進が宦官に殺されたことで逆上した袁紹は、宮廷に乗り込んで、2000人にものぼる宦官たちを皆殺しにしました。中には、ひげがないというだけで、宦官と間違えて殺された人もいたそうです。ここで気になるのは、この2000人という数。去勢された男性がそんなにいたのか……という思いもありますが、それより、殺された数が問題です。常日頃、中国史を読むたびに、「一族郎党皆殺しの数がハンパない」と思っていました。やはり日本よりもずっと広い大陸、多い人口を持つ中国は、桁が違います。そこで、少し、皆殺しの数について、脱線してみたいと思います。
中国の皆殺し
・秦の始皇帝 数十万人
秦の始皇帝は趙との戦いで、捕虜兵士約40万人を皆殺しにしたといいます。他にも焚書坑儒で見せしめとして500人の儒者を殺したり、晩年、持ち前の猜疑心から、逆らうものをかたっぱしから処刑しました。
・明の洪武帝 数十万人
明王朝を建てた朱元璋は、自らが皇帝になった後、それまで自分に協力してくれた重臣たちをかたっぱしから粛清していきます。こちらの粛清も、1回に数万単位で人が殺されてしまいます。粛清は6度にわたりました。そうとうの数に及びます。
比べてみると、袁紹の皆殺しがかわいらしい数に思えてきました……。
日本の皆殺し
・島原の乱 数万人
1837年、天草四郎が総大将となって引き起こした乱です。この時、幕府軍の攻撃により、島原城に籠城した老若男女37,000人全員が殺されたといいます。島原の乱は、日本史上最も大規模な乱だといいます。中国よりも、数が一桁少ないですね。
比叡山焼き討ち
では、有名な比叡山焼き討ちではどうでしょうか。1571年織田信長によって行われました。このとき、老若男女問わず、2000~4000人が殺されたといいます。袁紹と同程度の数がここに出てきました!袁紹の殺した2000人という数が、より具体的に想像できるようになりましたでしょうか。