袁紹に殺された2000人以外にも歴代の皆殺しに注目してみた。ちょっぴり不謹慎

2014年12月23日


 

宦官を倒す袁紹

 

何進が宦官に殺されたことで逆上した袁紹は、宮廷に乗り込んで、2000人にものぼる宦官たちを皆殺しにしました。中には、ひげがないというだけで、宦官と間違えて殺された人もいたそうです。ここで気になるのは、この2000人という数。去勢された男性がそんなにいたのか……という思いもありますが、それより、殺された数が問題です。常日頃、中国史を読むたびに、「一族郎党皆殺しの数がハンパない」と思っていました。やはり日本よりもずっと広い大陸、多い人口を持つ中国は、桁が違います。そこで、少し、皆殺しの数について、脱線してみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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中国の皆殺し

始皇帝 はじめての三国志

・秦の始皇帝 数十万人

 

春秋戦国時代の白起、デビュー戦から大殺戮

 

秦の始皇帝は趙との戦いで、捕虜兵士約40万人を皆殺しにしたといいます。他にも焚書坑儒で見せしめとして500人の儒者を殺したり、晩年、持ち前の猜疑心から、逆らうものをかたっぱしから処刑しました。

 

・明の洪武帝 数十万人

 

朱元璋

 

明王朝を建てた朱元璋は、自らが皇帝になった後、それまで自分に協力してくれた重臣たちをかたっぱしから粛清していきます。こちらの粛清も、1回に数万単位で人が殺されてしまいます。粛清は6度にわたりました。そうとうの数に及びます。

 

袁紹

 

比べてみると、袁紹の皆殺しがかわいらしい数に思えてきました……。

 



日本の皆殺し

天草四郎

・島原の乱 数万人

 

1837年、天草四郎が総大将となって引き起こした乱です。この時、幕府軍の攻撃により、島原城に籠城した老若男女37,000人全員が殺されたといいます。島原の乱は、日本史上最も大規模な乱だといいます。中国よりも、数が一桁少ないですね。

 

比叡山焼き討ち

敵将の頭蓋骨を盃がわりにして酒を飲む織田信長

 

では、有名な比叡山焼き討ちではどうでしょうか。1571年織田信長によって行われました。このとき、老若男女問わず、2000~4000人が殺されたといいます。袁紹と同程度の数がここに出てきました!袁紹の殺した2000人という数が、より具体的に想像できるようになりましたでしょうか。

 

 

 

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東方明珠

東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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