気象庁によると7月24日午後8時5分頃、鹿児島県の桜島で爆発的な噴火が発生しました。
同庁は桜島の噴火警戒レベルを3の入山規制から5の避難に引き上げ、鹿児島市の周辺住民へ警戒を呼び掛けています。現時点では島全体に影響を及ぼす大規模噴火ではないようですが、引き続き火山の動向に警戒が必要です。
今回のほのぼの日本史では、活きている火山島、桜島の歴史について解説します。
桜島の成り立ち
今からおよそ25000年前、大隅半島のど真ん中にあった姶良火山が想像を絶する巨大な噴火をおこしました。この時、姶良火山が吹き飛び大きな窪地(姶良カルデラ)が誕生します。やがて、カルデラには海水が入り込んで錦江湾が誕生しました。
そして、13000年前、姶良カルデラの南の淵に子供の火山「桜島」が誕生。桜島は、それから幾度となく噴火活動を繰り返して成長を続け、およそ6000年前まで北岳の噴火活動が続き、北岳の活動が収まると4000年前より南岳が活動を開始、現在の形が出来ました。
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なぜ桜島に人が住んでいるの?
桜島は活火山で有史以来、何度も噴火を繰り返しています。しかし、桜島には縄文時代より人が住んでいて最盛期には2万人もの人口がいました。現在は減少しましたが、それでも5600人もの人が桜島に住んでいます。
でも、危険な活火山があるのに、どうしてこれほど多くの人が住みついたのでしょうか?
理由は噴火がもたらす火山灰土壌にあります。土壌は、軽石を含むため軽くてやわらかく、空気や水をよく通す特徴があり作物は栄養を吸収しやすく、大きく美味しく育つ事になります。大きい事で有名な桜島大根も、火山灰土壌なくしては育つ事が出来ないのです。
また、標高1000メートルを越え、噴煙をたなびかせる雄大な桜島は観光資源でもあり、世界中から毎年200万人の観光客が詰めかけ、火山島の恩恵として温泉も湧いています。火山活動は脅威ですが恩恵もあるので、桜島の人々は噴火も生活の一部と割り切って暮らしているのです。
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桜島の人口分布
桜島は、島の面積の大半が山で中腹まで植物も生えていない不毛地帯です。しかし、桜島の北東、北西部にはなだらかな丘陵地があり、桜島の尾根が伸びていない南西部以外にも僅かに平地があり、人が住んでいます。
もっとも、これまでに多くの犠牲者を出す大噴火も起きている上、事前に溶岩が流れだす地域は予想できないので、桜島には22もの避難港が指定され、溶岩や火砕流の被害から逸早く逃げられるように対策がされています。
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今は島ではないって本当?
桜島の地名には複数の由来があります。
10世紀の中頃に大隅守として大和朝廷から赴任してきた「桜島忠信」の名前からとったという説や、神話に登場するコノハナサクヤヒメが桜島の五社大明神に祀られているので、「サクヤ島」が変化してサクラ島になったという説もあり、本当の所はわかりません。
また桜島はその名の通り、幅約360メートル、深さ約75メートルの瀬戸海峡で大隅半島と隔てられた島でしたが、大正3年(1914年)1月12日より始まった噴火で海峡が埋まり、大隅半島と陸続きになりました。だから正確には桜半島なのですが、ゴロがよくないので、今でも引き続き桜島と呼ばれています。
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戦国時代にも噴火していた桜島
桜島は、応仁の乱の翌年、1468年に噴火したそうですが被害の記録はありません。しかし文明3年(1471年)9月12日に大噴火が発生し、北岳の北東山腹から溶岩が流出し、死者多数の記録があります。
文明7年(1475年)8月15日には桜島南西部で噴火し溶岩が流出。翌年の9月12日にも桜島南西部で噴火が起こって死者が多数出たそうです。
戦国時代には、桜島は島津氏の領地で鹿児島湾を挟んで肝付氏との争いの最前線で、島の各地に城塞が築かれ兵が配置されていました。元亀2年(1571年)には肝付氏と連合した禰寝氏、伊東氏が100艘余りの船で桜島の各拠点を攻撃、島津家久は横山、脇、瀬戸などに陣を構えて応戦した記録があります。
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日本史ライターkawausoの独り言
桜島は、誕生してから大小17回も噴火を起こしている日本一の活火山です。危険な活火山ですが、桜島のもたらす恩恵も大きく、桜島に住む人々は火山活動による避難や被害も生活の一部と割り切って逞しく生きています。
錦江湾に浮かぶ桜島の噴煙は、気性が激しく逞しい薩摩勇人の象徴として、多くの和歌に詠まれ、桜島の人々のみならず、鹿児島の象徴として親しまれているのです。
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