戦国に生きた最強の武将4人は?ある基準を採用で決めたこの4大名!

2020年8月8日


 

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真田丸

 

「日本の四大〇〇」とか、「〇〇の四天」とか、「もっとも凄いと思う上位4人を選べ」みたいな話はよくありますが、戦国時代について、「最強の4武将は誰か?」となったら、皆さんはどんな名前をあげるでしょうか?

 

ポイント解説をするYASHIRO様

 

私にとって、この問いへの答えは決まっています。戦国武将たちの「誰もがなしえなかったあること」を実現させた4人ということで、私が特別に評価する人物たちがいるのです。

 

デタラメに強い本多忠勝

 

今回は、まずその4人の名前を並べて、最後に、なぜこの4人こそが「最強」なのかの根拠を述べさせてください。クイズのように、「なぜこの4人を選んだのだろう」と推理しながら読んでいただいても面白いかもしれません!ではまず一人目から、はじめていきましょう!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一代で四国統一目前までいった男、長宗我部元親!

長曾我部元親(長宗我部元親)鳥なき島のコウモリ

 

土佐の戦国大名、長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか
)
については、どうも過小評価されているような気がしてなりません。この人は、たった一代で土佐国(とさのくに
)
を平定したのみならず、そのまま四国統一目前までいっきに駆け抜けていきました。そのスピード成長率を、評価したいと思います。

 

四国を統一する長宗我部元親

 

「しょせんは四国というマイナーな土地で成り上がっていただけだ」などと失礼なことを言う人が多々いますが、とんでもない。かの藤原純友(ふじわら の すみとも
)
が示した通り、「四国で勢力をつけて京都を脅かす」というのは、日本史上で「あなどれない存在」になる戦略のひとつ。

 

豊臣秀吉と対立する長宗我部元親

 

そもそも織田信長(おだのぶなが)にせよ豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)にせよ、「四国の長曾我部に対してどれだけの兵力を割くべきか」の計算で多々苦慮した模様ですし、本能寺の変の遠因のひとつにも、信長が中国地方と同時に四国方面にも兵力を割こうと決断をして、京都を手薄にした経緯があります。

 

長宗我部元親と密談する明智光秀

 

長宗我部元親は天下人たちにすら脅威を与える勢力を一代で築き上げた豪傑なのです!

 

戦国史上稀に見る「誰も文句を言えない下克上」を成し遂げた、鍋島直茂!

鍋島直茂

 

二人目は、鍋島直茂(なべしま なおしげ
)
です。この人も長曾我部元親と似て、地方の小勢力(当時は「佐嘉」と呼ばれていた現在の佐賀県)から破格のスピード出世を成し遂げ、北九州に勢力圏を築き上げただけではなく、

 

中国大返し(豊臣秀吉)

 

豊臣秀吉の信頼を得て、「貿易港である長崎の管理役」というありがたい役目まで手に入れました。この鍋島直茂の凄いところは、もともとは竜造寺家という戦国大名の一家臣にすぎない身分でありながら、まんまとその竜造寺家を差し置いて、自分が大名になってしまったことです。

 

豊臣秀吉の熱いオファーによって肥前の大名を断るも渋々受けてしまった鍋島直茂

 

それも謀反や謀略といった手で主君を抹殺したのではなく(※多少、暗殺疑惑がもたれている件もありますが)、本人が主家である竜造寺家から何度も「鍋島直茂がいないと話がまとまらない!」と重要な局面でリーダーシップを委ねられ、そうこうしているうちにいつのまにか主家を差し置いて肥前の大名になってしまった、いわば実力だけで「みんなに認めてもらっての下克上」をやってしまった人です。

 

夏侯淵

 

もちろん「戦国大名」ですから、ウラでは汚いことも多少はやったはずですがサラリーマン物語のような順当な出世ぶりと勢力の急成長ぶり、これまたたいした存在といえるのではないでしょうか。

 

関連記事:鍋島直茂(なべしま なおしげ)がスゴイ!主家乗っ取りに成功!

関連記事:鍋島直茂から学べ!突然リーダーが退陣してしまった時のポスト〇〇の座の奪い方

 

弱小大名にすぎなかった出自からの逆転人生!毛利元就!

毛利元就

 

三人目は、こちらもまた地方の小さい勢力からスタートしつつ、わずか一代でスピード出世をした毛利元就(もうり もとなり
)
です!この人は知名度も高くファンも多いので、あまり細かい説明はしませんが、

 

中国地方を制覇する毛利元就

 

・弱小勢力から、最終的には中国地方をほぼ統一、北九州にまで勢力を伸ばしていた

・厳島の合戦という戦国時代でも屈指の大逆転劇を指揮した

 

3本の矢を放つ毛利元就

 

などなど、独特な魅力にあふれた傑物であります。何をおいても、出す策が次々に当たる、戦国時代最大の智将という評判が恰好いいですね!

 

ある意味、関ヶ原で最強だった?島津義弘!

薩摩藩の島津義弘

 

最後は島津義弘(しまづ よしひろ
)
です。

 

これまた地方に割拠していた戦国大名、島津家のリーダーの一人であり、勇将ぞろいの島津兄弟の中でも軍事に関しては最強かもしれない功績を誇っていました。この人の最大の魅力は、関ケ原の合戦での敵中突破でしょう。

 

関ヶ原から撤退をする島津義弘

 

西軍に属した島津義弘は、いろいろな理由があって本戦ではほとんど動かなかったのですが、合戦が西軍の敗北と決まるや、わずかな手勢を率いて東軍の陣中を突破し、鹿児島に帰るという、徳川家康をも驚嘆させた行動に出ます。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

そんなに強いなら、なんで最初から戦わなかったのかというナゾはともかく、インパクトという点では関ヶ原で最強だったかもしれない、何やら恐ろしい人でした。

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YASHIRO

YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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