西暦184年に発生した、太平道の教祖、張角を首謀者とする
黄巾の乱は、後漢王朝の屋台骨を揺るがす大反乱に発展します。
三国時代を代表する武将が世に出ていきます。
やがて、魏、呉、蜀の三国が鼎立する切っ掛け、それが黄巾の乱です。
前回記事:三国志は黄巾の乱から始まった
黄巾の乱は、どうして起こったのか?
では、そもそもどうして、黄巾の乱は起こったのでしょうか、、
それには、漢の帝、霊帝の貧乏に大きな関係があります。
霊帝は、先代、桓帝に子が無かったので、同じ河間王族から
選ばれた人物でしたが、困った事に王族としては貧乏な人でした。
それでも、国庫にお金があれば良かったのですが、
桓帝は宦官を重用して無駄遣いをしたので、この時点で国庫は
すっからかんでした。
霊帝の斬新な発想でお金の調達法を名案
そこで、霊帝は、非常に斬新なお金の調達法を発明します。
それは、お金で官職を売り払う事でした。
どのように高い官職にも、値札が張られ、金持ちは、これを
買う事で、あっという間に役人になれたのです。
道徳が地に落ちた
のアイデアは画期的で、国庫はあっと言う間に一杯に
なりましたが、その為に道徳は地に落ちました。
それまで、内密に行われていた賄賂が白昼堂々と行われ
汚職が普通になり、政治は完全に腐敗したのです。
また、お金で官職を買った人間は、投資金を取り戻す為に
農民に重税を課して富を絞り取りました。
そこで、資金を回収すると、その人間は、この官職を他人に売り
買った人は、また同じ農民から重税を絞り取ります。
困った農民達
こんな事が続いては、農民はたまりません、そこで現れたのが
太平道という宗教を布教し、病人を癒し奇跡を起こした張角でした。
「もはや、漢王朝の命運は尽きたり、蒼天はすでに死に、
黄天が建つ時が来た。張天子は聖人であり、
彼についていけば天下は大吉だ。
お前達農民には安定した暮らしが約束されるだろう。」
どんなに頑張っても払えない重税を課せられた農民は、
どうせ処罰されて酷い目に遭うなら張角について、
新しい世の中を期待した方がマシだと思ったのです。
こうして、売官という腐敗制度がもたらした汚職と搾取は
中国全土で漢を滅ぼすというスローガンを掲げる
黄巾族による大反乱をもたらしました。
こうして見ると、暗君としか思えない霊帝ですが、
彼は西園八校尉と呼ばれる皇帝直属の1万人規模の近衛兵を
黄巾の乱の鎮圧後に組織した事でも知られています。
このような近衛兵は、西園八校尉の将校だった曹操により
構想が引き継がれて完成し、以後は歴代の王朝の近衛兵の
モデルになっています。
馬鹿のように見える霊帝が近衛兵の産みの親だったとは
実に意外な事ですね。
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