143話:狡猾なる狼顧司馬懿、七十三年の生涯を閉じる【全訳三国志演義】

2021年7月16日


 

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孫亮を後継者として指名する孫権

 

呉の孫権が長年続いた二宮(にきゅう)の変に嫌気が差し、末子の孫亮(そんりょう)を皇太子に立てていた頃、魏では、三国志最後の勝者と呼ばれた男、司馬懿(しばい)が死の床についていました。

 

司馬懿

 

曹操(そうそう)に警戒されつつも、曹丕(そうひ)に用いられ諸葛亮(しょかつりょう)の北伐を退けて権力を掴み、権謀術数(けんぼうじゅつすう)を駆使してライバルを倒してきた用心深き狼は、最後に何を思ったのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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王淩のクーデター

王淩

 

「司馬氏の(むじな)どもめ、何としてくれようか!」

 

王淩は司馬一族への嫌悪を隠さずに言いました。王淩は、魏に長年仕え、兗州(えんしゅう)、青州、豫州(よしゅう)、揚州の刺史(しし)を歴任し、西暦241年には芍陂(しゃくは)の役で呉の全琮(ぜんそう)を撃退し秦晃(しんこう)を戦死させた名将です。

 

その後も累進し車騎将軍、三公の司空と太尉を歴任します。しかし司馬懿が高平陵(こうへいりょう)の変を起こし曹爽(そうそう)一派を粛正し野望を隠さなくなった事に憤慨していました。

 

司馬懿と曹爽

 

「本来ならば、帝にはもっとしっかりして頂かねばならんが年少で頼りない。いかに、司馬懿が病気だとて、帝自ら司馬懿の屋敷を訪れて助言を求めるとは、ガキの使いではあるまいし、先が案じられてならぬ」

 

そこで、王淩は甥で兗州刺史の令狐愚(れいこぐ)と共に曹芳の廃位を企み、曹操の子である曹彪(そうひょう)の擁立を企てたのです。

 

クーデーターを起こす王淩

 

父の計画に対し、長子の王広は成功するはずがないと激しく諫めますが、王淩と令狐愚は挫けずに計画を遂行し曹彪を担ぎ、単固(たんこ)楊康(ようこう)黄華(こうか)楊弘(ようこう)のような賛同者を得ました。しかし、計画が秒読みとなった所で令狐愚が病死。

 

北方謙三 ハードボイルドな司馬懿

 

計画の頓挫を恐れた楊康は、司馬懿にクーデターを密告、黄華は計画加担を拒否し、使者の楊弘と共に司馬懿に計画を暴露しました。

 

こうして、王淩のクーデターは失敗していましたが、司馬懿は計画の加担者を一網打尽(いちもうだじん)にしようと王淩を泳がせる事にします。

 

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王淩を自殺させ曹彪も自害させる

司馬懿

 

嘉平3年(西暦251年)正月王淩は、呉が涂水(じょすい)に砦を構えていると偽ってこれを討伐したいと司馬懿に願い出ます。しかし、司馬懿は密かに王淩がクーデターを企んでいる事を承知していたのでこれを認めませんでした。

 

鉄甲船

 

4月、司馬懿は病身を押して自ら軍を率い、軍船を浮かべて流れに沿って進み、九日に甘城(かんじょう)に到着。まさか司馬懿が自分で来るとは思わない王淩は、()す術なく武丘で司馬懿を迎え、自らを縛って宿営まで進み出ました。

 

「あなたは書簡を送り、私に出頭を命じるだけで良かったはずだ。どうして病を押してまで自ら来られた?」

 

 

「君は手紙ごときで呼びつけるべき相手ではなかったからこそだ」

 

司馬懿は温和な顔をしていますが、例の如く目だけは笑っていません。こうして王淩は洛陽に送還され、途中賈逵(かき)(びょう)の前を通りかかると叫びます。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

賈梁道殿(かりょうどうどの)よ。私こそは大魏の忠臣であった。もし神がいるのならこれを知っておられよう」

 

そして、(こう)まで来たところで運命を悲観し鴆毒(ちんどく)をあおって自殺しました。

 

司馬懿

 

司馬懿は王淩の自殺を知ると残党を全て逮捕し、皆、三族に至るまで誅殺。曹彪もクーデターに加担したとして自殺を命じ領地を没収した上に、臣下まで主君の企てを止めなかったとして皆殺しにします。

 

司馬懿「さて、やんごとなき王子達は手癖が悪くていかん、なんとかしなくては…」

 

洛陽城

 

司馬懿は、魏の諸侯王を全て集めて鄴に住まわせ官吏に命じて監視させ、相互に連絡が取れないようにしました。まさに狼顧の(ろうこ)男、司馬懿は非常な用心深さと苛烈な措置で、反逆者を粛清(しゅくせい)したのです。

 

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全訳三国志演義

 

 

司馬仲達死す

流星を見た司馬懿

 

夏6月、司馬懿は体調を崩し死の床に就きました。

 

高祖宣帝懿紀(こうそせんてい・いき)によると、司馬懿は夢に賈逵と王淩が出現して恨み言を述べたので、ひどく不安に思い、同時に自分が長くない事を知ります。

 

司馬懿と司馬師

 

秋8月、司馬懿はベッドから起きあがる事も出来なくなり、二人の息子、司馬師と司馬昭を枕元に呼び寄せました。

 

「わしは魏に長年仕え、官は太傅の地位に上り位は人心を極めた。だが、いつも人が、司馬懿は天下を狙う野心があると猜疑したゆえ、常にこれを恐れ疑われぬようにあらゆる措置を取った。もうじきわしは死ぬが、わしの死後も、よくよく世論に留意(りゅうい)し無理せず国政を動かせ、慎重にも慎重を重ねるように…」

 

司馬懿

 

司馬師「なんと弱気な事を仰せられる。父上にはまだまだ、魏の大黒柱として我等の手本となり、国を導いてもらわねばなりませぬ」

 

司馬師

 

司馬師は毅然とした表情で司馬懿を励ましますが、司馬懿は右手を少し上げて左右に振ります。

 

司馬懿「師よ、気休めはいらぬ、それよりも…」

 

司馬懿は言い掛けると枯木のようになった腕を下ろします。そして静かに瞑目して昏睡状態に陥り、やがてかすかに振るえていた白いあごヒゲの動きが停まりました。

 

司馬師「父上…!」

司馬昭「父上、しっかりして下さい!」

 

医師は、おそるおそる司馬懿の脈を取り「太傅(たいふ)身罷(みまか)られました」と告げました。

 

慎重にして狡猾、小心にして大胆、好悪の感情激しくも、あくまで表面は寛大に見せかけた乱世の奸物は、終生のライバル諸葛亮に遅れる事17年で天下への野心を2人の息子に託し、73年の波瀾(はらん)に満ちた生涯の幕を下ろしたのです。

 

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全訳三国志演義ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

いよいよ、諸葛孔明最大のライバル、司馬仲達がこの世を去りました。曹操が死んでから31年、孔明が死んでから17年、三国志の英雄たちの物語は、次第に遠ざかり、伝説として人々の記憶に残るのみとなっていきます。

 

司馬懿に敬意を払う司馬師

 

しかし、一方で司馬懿の野望は、司馬師、司馬昭の2人に引き継がれ曹丕の建国した魏は、司馬氏の簒奪(さんだつ)に晒されていく事になりますが、魏の忠臣は決して王淩だけではありませんでした。

 

さて、次は呉の大黒柱孫権の死を語っていきたいと思います。全訳三国志演義、本日はここまで!

 

参考文献:三国志演義 晋書:高祖宣帝懿紀

 

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張遼

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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