劉備(りゅうび)や孫権(そんけん)など三国志の群雄は肉親や親友に幾度も裏切られてしまいます。魏を建国した曹操(そうそう)は親友と呼べる人は数えるほどしかいませんでした。そんな親友に彼は若い頃裏切られています。今回紹介するのは曹操の親友の一人を今回紹介したいと思います。その名は張邈(ちょうばく)と言います。
彼は義心に溢れた人で、若い頃生活に困っている人を見かけたら、家財を傾けて助け、彼の周りには色々な人が集まり、その中には若かりし頃の曹操や袁紹も彼と友達として付き合っていました。
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家財を傾けて人助けを行う
張邈は若い頃から侠気溢れる人として評判の高い人物でした。彼は家財を傾けて生活に困っている人を助けます。こうして彼が助けた人は非常に多く、この噂を聞いて彼の元に大勢の人が集まってきます。この中に若かりし頃の曹操や袁紹の姿もありました。
董卓討伐軍を起こす
張邈は董卓(とうたく)の専横によって政治が乱れてくると、曹操と共に董卓を討伐するべく挙兵します。しかし董卓軍の勇将である徐栄(じょえい)にコテンパンに敗れます。その後反董卓連合軍が結成されると袁紹が盟主となり、各地の群雄を集めます。
袁紹の驕った姿に憤慨し、注意するも…
袁紹は董卓連合軍の盟主の座に収まると、次第に他人を見下し、驕り(おごり)始めます。張邈は袁紹のこの態度に怒り、注意します。しかし袁紹は張邈が怒って注意してきたことに腹を立て、曹操に「張邈を攻め殺せ」と促します。
曹操は袁紹に促されても、必死で親友をかばう
曹操は袁紹から「張邈を殺すように」と言われても、受け付けませんでした。彼は受け付けないばかりか、袁紹に対して「孟卓(もうたく=張邈の字)は俺の親友だ。あいつが行った悪い事もいい事もすべて俺は受け入れるつもりだ。」と反論。張邈は曹操が身を挺して自分の事を守ってくれた事に恩義を感じます。
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