袁紹(えんしょう)には優れた智謀の臣が二人いました。一人は情報を解析し、優れた知略を持っていた沮授(そじゅ)。もう一人は智謀と見識の高さで袁紹に的確な進言を行った田豊(でんほう)。この二人からでる献策はことごとく的確で、袁紹が彼の献策をもし一つでも採用していたら、三国志は成立しなかったかもしれません。
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後漢王朝に就職
田豊は謀略と機略に優れ、広い知識を持ち地元で評判の高い人物でした。後漢王朝は田豊の名声を聞きつけ、彼を大尉府にスカウトします。田豊はスカウトを受けて大尉府へ就職します。彼は数年後大尉府から朝廷に仕えることになります。彼は朝廷に仕えますが宦官が朝廷で幅を利かせ、賢臣が省かれている状況が気にくわず、朝廷での仕事を辞めます。
袁紹の丁重な姿に魅了され仕える事に
田豊は朝廷での仕事を辞めた後、冀州の韓馥に仕えます。しかし韓馥は袁紹の脅迫にビビッて冀州を捨て、逃げます。田豊は韓馥が逃げてしまった事に失望し、しばらく家に引きこもります。家に引きこもり毎日書物を読んで過ごしていました。そんなある袁紹が自ら家に来て「私の臣下になってくれ」と頭を下げてお願いします。田豊は袁紹のこの姿を見て、「分かりました。これからはあなた様にお仕えいたしましょう。」と袁紹に仕える事にします。
今こそ曹操を討伐する最大の好機
袁紹は曹操の討伐するため官渡に軍勢を出陣させます。曹操も自ら軍勢を率いて官渡や白馬などの重要拠点に兵を出陣させ、袁紹に対抗します。この時袁術討伐に向かっていた劉備が徐州で、曹操に反旗を翻します。曹操は劉備を討伐するため自ら軍勢を率いて出陣します。田豊は劉備が徐州で独立したと知らせを受けると、袁紹に「曹操は自ら劉備討伐に向かったそうです。奴がいない今こそ曹操を討つ最大の好機です。出陣しましょう。」と進言します。袁紹は「今、オレの息子が風邪ひいて看病しないといけないから、また今度な」と田豊に出陣できない理由を告げます。
杖を地面に叩きつけて悔しがる
田豊は袁紹が自らの進言を聞き入れなかった事に激怒します。彼は家に帰ると杖を地面に叩きつけ「今が最大の好機だと言うのに、子供の看病だからと言って出陣しないとは、天下を取る気があるのか怪しいものだ。」と部屋でブチ切れます。
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