14話:宦官を容赦なく皆殺したカリスマ袁紹の過激なデビュー


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袁紹が宦官を惨殺に行く

 

三国志の英雄、曹操の初期の最大のライバルとして、登場するのが袁紹(えんしょう)です。袁紹は、西暦154年頃の生まれでほぼ、曹操と同じ年齢ですが、出自は三公、(司徒、司空、大尉、漢王朝の要職)を4代に渡って輩出した門閥である、汝南袁家の本宗家の出身でした。お金はあっても宦官の孫と言う曹操とは、血筋と毛並みにおいては天地の差があると言ってもいいでしょう。

 

前回記事:霊帝の後継者争い、劉協と劉弁、二人の皇子を巡り蹇碵と何進は争う


黄巾族の乱後に登場した袁紹

暴れる黄巾党008

さて、この袁紹は三国志演義では、黄巾賊の乱の後に登場します。当時、宮廷では霊帝の後継者をどうするかで外戚と宦官が勢力争いを繰り返していました。皇位継承者は、宦官の蹇碵と霊帝の母、菫皇太后が押す、王美人の産んだ劉協と、霊帝の妃、何皇后が産んだ劉弁の二人でした。

 

何進

 

袁紹は、何皇后の産んだ、皇子、劉弁を支持し、皇后の兄、何進に積極的に接近していました。


誰が次の皇帝になろうが興味がない袁紹

宦官を一掃することを決意する何進

 

実際の袁紹は、誰が次の皇帝になろうが、興味はなかったのですが、その家柄から宦官がのさばる王宮を嫌悪し、外戚の何進の力で、宦官勢力を駆逐してしまおうと考えていたのです。


霊帝が逝った後の袁紹と何進の計画

王族ボンビーから一転セレブ09 霊帝

 

そんな折、西暦189年に霊帝が33歳で崩御します。霊帝は遺言で、王美人の産んだ劉協を後継者に指名しますが、それを聴いた宦官蹇碵(けんせき)は、必ず反対するであろう何進を暗殺しようと企てます。

 

何進

 

しかし、計画を察知した何進は宮廷に入らず、遺言を反故にして、年長である事を理由に劉弁を立てました。これが後漢13代皇帝 少帝になります。

 

袁紹に告げ口をする逢紀

 

治まらない何進は、蹇碵(けんせき)を逆に誅殺しようと考えて、誰か逆賊を討伐するものはいないか?と呼びかけると真っ先に警察長官の地位にあった袁紹が応じます。何進は喜び、袁紹に五千の兵を与えました。宦官勢力は恐れをなし、蹇碵(けんせき)を見限り、何進になびいたので、蹇碵(けんせき)は孤立し、袁紹に討たれてしまいます。しかし、袁紹は蹇碵(けんせき)を討っただけでは満足していませんでした。


蹇碵を殺害しただけでは満足いかない袁紹の理由

袁紹

 

「蹇碵(けんせき)を討っても、まだ宮廷には、腐れ宦官共がゴマンといる、、こいつらを駆逐しなければ、意味がない」

「どんだけ宦官が憎いんだよ、、」とも思いますが、ここから、袁紹が宦官を根絶やしにするのに執念を燃やした事が分かります。そして、何進に対し、宦官を一人残らず排除すべしと何度も進言するのでした。

 

何皇后にプレゼントなど贈り物をする宦官勢力

何皇后(毒蛇) 何進

 

ところが、宦官勢力も侮れないもので、敵である何皇后に接近し多額の贈り物をし何進の背後にいる袁紹を牽制しようとします。何皇后は宦官に取り込まれ、兄の何進に宦官を滅ぼすのは、見合わせるように嗜める有様でした。

 

張譲(宦官)

 

妹の要請に何進は決心を鈍らせて宦官の排除を躊躇します。そこで袁紹は、何進の決意を再び固める為に、禁じ手の奇策を伝授しています。

 

袁紹の奇策の手とは?

董卓 はじめての三国志 ゆるい

 

それが、黄巾賊討伐に活躍した丁原や菫卓という地方の軍閥を洛陽に招き入れて何皇后に軍事的なプレッシャーを掛けるという策です。

 

董卓

 

これには、曹操や、盧植のような武将に大反対を受けました。特に菫卓は野心が高く、洛陽に入れては大きな禍を招くというのです。しかし、何進は、袁紹の策を入れて軍閥に対して洛陽に上るように命令を出しています。

 

宦官

 

袁紹も、大将軍何進の名義で勝手に命令を出しているので、彼の宦官嫌いも筋金入りという所でしょう。ところが、追い詰められた宦官勢力は、再び、何進を暗殺する計画を立てます。抱きこんだ何皇后の命令と偽り何進を宮廷に呼び寄せたのです。

 

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宦官勢力に暗殺される何進

宦官を倒す袁紹

 

妹の命令と聞いて、のこのこ出かけた何進は哀れ、あっさり暗殺されます。治まらないのは袁紹です、ここで再び、宦官共に勢力を握られてたまるかと武装蜂起し、何進の配下の兵と共に宮廷に乱入し二千名とも言われる宦官を皆殺しにしてしまうのです。

 

小帝(少帝劉弁)

 

ところが、袁紹は、この事態を収拾する能力は持っていませんでした。宦官勢力から何皇后だけは無事確保したものの、少帝と劉協は宦官の張譲に拉致され、宮殿から逃げられてしまうのです。大混乱に陥った洛陽に、保護した少帝と劉協を擁して入ってきたのは菫卓の軍勢でした。

 

董卓

 

菫卓は、曹操や盧植の心配通り、横暴な暴君の本性を剥きだしにしました。少帝を勝手に廃位すると、弟の劉協を帝に擁立します。これが、後漢最期の皇帝、献帝となります。菫卓は軍事力を背景に逆らうものを殺戮し洛陽は恐怖政治の巷と化します。ここで袁紹は、少帝を廃した菫卓に異を唱えた後、直ぐに洛陽を脱出して、本拠地に逃げ去ってしまうのです。

 

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袁紹の誤算

袁紹と献帝と董卓

 

結局、袁紹は宦官を除くという目論見は成功したものの、同時に菫卓というより性質の悪い怪物を洛陽に招くという皮肉な結果を招いてしまいました。ですが、ここで終わる袁紹ではなく、やがて血筋の良さから、反菫卓連合軍の総司令官に祭り上げられます。本格的な群雄割拠の三国志は、まさに袁紹によって幕が開けられたのです。

 

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次回記事:神をも畏れぬ暴虐非道後漢をブッ壊した独裁者・菫卓

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