白馬将軍、公孫瓚(こうそんさん)。このあだ名の響き……素敵すぎて、ご飯が三杯くらい進みますね!白馬に乗るのはイケメンに限る!きっと、どこかにそういう法則はあるはずです。……ただし、三国志の場合は白馬<赤兎馬ですが。
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雨を降らせる……?
さて、公孫瓚といえば、気になることがあります。公孫瓚は、ライバルである幽州牧の劉虞(りゅうぐ)を捕らえると、市中引き回しの上、
「おまえは皇帝になれるんだろう?それなら、雨くらい降らせてみろよ」と、無茶なことを言いつけます。
結局、真夏に雨は降らず、それを理由に斬り殺してしまうのです。
そんなの、ありなのでしょうか。古代の三皇五帝時代ならともかく、漢王朝は、劉邦というヒトが建てた王朝なので、皇帝はヒトです。どうして雨を降らせなくてはならないのでしょう?
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瑞兆があちらこちらに現れるのは人為的?
中国史を見ていて興味深いと思うのは、「瑞兆」と呼ばれる不思議な現象が、歴史書に堂々と記載されていることです。
たとえば、ドコドコに麒麟が現れた!とか、甘露の雨が降った!とかふたつの太陽を見た!とか。いやそれ、デマですよね……?歴史書に書くことではないのでは?と思わず言いたくなる怪奇現象が、普通に記されています。
黄河が氾濫したとか、ほうき星が現れたとか、地震があったとかそういう自然現象と同系列なのです。そして、その現象は、なにかの前触れであり、特に政治的に大きな変革があるときに使われるのです。
さて、そんなわけで、公孫瓚に話を戻します。公孫瓚は、劉虞に「雨を降らせてみろ」と言いました。
この背景には、董卓(とうたく)がバックについている献帝を廃して、劉虞を皇帝に立てようという動きがあり、そういう人たちが、
「星の動きがおかしい」「劉虞が皇帝になると書かれた玉璽を見つけた」「ふたつの太陽を見た」など、瑞兆が現れたと言い出したのです。ものすごく……人為的なにおいがします。
しかし、こういう瑞兆を、信じてしまうのが民衆なのです。特に劉虞は民からの人望が高い人でした。そこで公孫瓚は「みんな見てみろよ。あいつ、ただの人間だぜ」と、瑞兆を跳ね返すことで、民に知らしめたかったのです。