被らないのは裸で歩くようなもの?中国人が被っていた冠は何?

2015年3月5日


 

孫権 冠

 

三国志の時代の人々は、外出時には、必ず冠を被って歩いていました。

お役人ばかりではなく、一般人も巾と呼ばれる布製の冠を常用いています。

 

これは、中々伝統のある習慣で紀元前11世紀の周の時代には、

制度化されていたといいます。

 

では、当時の人々が被っていた冠には、どんな種類があったのでしょうか?

ちょっと勉強してみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



・冕(べん)

袁紹&袁術

 

皇帝から卿大夫以上の人々が被っていました。

あの四角い冠に細長い板が載って硝子や

宝石がスダレのように垂れ下がっているアレです。

重大な儀式がある時にのみ、これを被っていたようです。

 

・弁(べん)

皇帝から、士と呼ばれた下級役人までが被りました。

鹿の皮などで造られた帽子状のもので、

身分により宝石などを縦に並べて飾った豪華なものもありました。

こちらは、一般の儀式で被られたようです。

 

 

・冠(かん)

 

金属製の冠で、行事がない一般の時に被っていました。

こちらも士が被っていたので庶民と士大夫を区別する

重要なステイタスシンボルでした。

 

余談ですが、漢の高祖劉邦(りゅうほう)は、

幼馴染の䔥何(しょうか)の口利きで、

沛県の亭長という現在の区長レベルの仕事に就きました。

 

劉邦は、「いよいよ、俺も士大夫になった」と威張りますが

お金がないので金属の冠を造る事が出来ません。

そこで、自分で竹を加工して冠を造って被っていました。

しかし、周囲は皆、劉邦の竹の冠を見て大笑いをします。

気分を害した劉邦は思いました。

 

(俺が天下を取ったら、皆が竹の冠を羨むようにしてやる)

 

後に劉邦は天下を取った時に、三公以下には竹の冠を被る事を

厳禁にしました。

 

これは劉氏冠と呼ばれ、士大夫が皆羨む冠になったのです。

 

 

・巾(きん)

黄巾装着

 

巾は、一般庶民が被っていたもので、

布製のハチマキのようなものだったようです。

ただ、そんな庶民も行事がある時には冠を被りました。

 

何で被りたがるの?

霊帝 無能

 

漢民族は、儒教の影響で身体に刃物を入れるのを

親からもらった肉体に傷をつける行為と嫌いました。

 

そこで、髪さえ切らず、頭髪は頭のてっぺんで結いあげて

布で包んでから、そこに簪を刺し、

その上から、巾やら、冠やら、弁やらを被っていたのです。

 

良くできたもので、弁や、冠には、簪を通す穴が空いていて、

ここから、簪を刺す事で、顎紐を用いなくても冠を固定できたようです。

 

また、冠を被らずに外を歩く事は、

裸で人前を通る程に恥ずかしい事と考えられていて、

正史三国志の「魏略」には、

焦先(しょうせん)という賢者がいて草を編んでズボンにしていたが、

冠を被っていなかったので、道で婦人に会うと、こそこそ隠れて、

頭を抑えて婦人が通り過ぎるのを待ったそうです。

 

記述を読むと、焦先は奇抜な服を着た奇人のようですが、

それでも冠を被っていない事が恥ずかしく、こそこそと

逃げるように通りを歩いていたのですね。

 

 

冠を被る習慣がなくなったのはいつ頃なの?

 

中国の冠文化は、17世紀前半の明の滅亡までは存続しますが、

満洲族の清朝が建国すると、髷を結わず、辮髪の満洲族の習俗が

一般化して、冠を被る習慣は消えていきます。

 

満洲族は、陣笠のような被りモノに羽や宝石を散りばめた

ものを正装にしたので、冠は要らなかったのです。

 

関連記事:軍師ってどんな職業なの? <三国志豆知識>

関連記事:壮絶、血を吐きまくる三国志武将ランキング

関連記事:三国志と水滸伝の違い、あなたは説明できますか?

関連記事:三国時代のお酒は発泡酒レベルだった?

関連記事:『三国志』人気を数字から考えてみる

関連記事:日本人にとっての『三国志』の原点……吉川英治『三国志』

 

 

この記事を書いた人:kawauso

kawauso

HN:

kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-三国志の雑学
-,