兵法三十六計(借屍還魂)の古今東西

2015年3月24日


 

 

中国の清の時代の初期に纏(まと)められた兵法三十六計は、

兵法における戦術を六段階、36に分類したものです。

 

その中の14番目に、借屍還魂(しゃくち・かんこん)という計略があります。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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借屍還魂(しゃくち・かんこん)ってどういう意味?

借屍還魂 名前をかたる

 

おおまかな意味は、すでに亡くなった権威や、いなくなった他人の名声を

利用して、自分の利益を上げるという方法です。

 

これは、中国史ばかりでなく、他国でも似たような方法が、

取られているので、少し紹介してみましょう。

 



① 有名人の名前を借りて、利益を得るタイプ

劉備 黒歴史

 

一番ポピュラーで簡単なのは、すでにいない有名人の名前を騙り

自分の野望を達成するというタイプの、借屍還魂です。

 

有名なのは、秦末の叛乱を起した陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)でしょう。

平民に過ぎない彼等は、農民軍に権威を付ける名目で、

始皇帝の長男で、名声の高い扶蘇(ふそ)の名前を使ったり

秦の天下統一に最後まで抵抗した楚の項燕(こうえん)大将軍の名前を

騙ったりしています。

 

新聞もテレビもない時代ですから、それを信じる人は多く

陳勝・呉広は、大勢の人間を集める事に成功しました。

 

 

② 先祖の名前を使い利益を得るタイプ

劉備

 

先祖に有名人がいた場合には、その名前を出す事で、

自分の力を大きく見せる事が可能になります。

 

三国志の劉備(りゅうび)は、前漢の景帝の子孫、

中山靖王劉勝(りゅうしょう)の末裔という400年も遡る、

うっすい血縁を最大限利用し、乱世を渡るテクニックにしました。

 

 

日本史でも、鎌倉幕府を起した源頼朝は、父が源氏の大将、

源義朝だった事を最大限に利用しています。

義朝は、頼朝が挙兵した頃にはすでに殺されているので、

これも借屍還魂の一種でしょう。

 

 

また、中央アジアの覇者、チムールは、チンギス・ハーンの末裔を

名乗り敵に威圧感を与えていましたし、

インドのムガル王朝を開いたバーブルは、このチムールの末裔を

自認して、戦いインドを統一しています。

 

 

強くて残忍無比なチンギスハーンの勇名は中央アジアや、

インドに轟いていて、多くの相手は戦う前に怯んでしまったのです。

 

 

③過去の故事を利用して利益を得るタイプ

 

 

借屍還魂には、過去の故事を利用して、自分の利益にするタイプもあります。

最初に琉球を統一した覇、尚巴志(しょうはし)は、

西暦1416年に北山(ほくざん)王、攀安知(はんあんち)を攻めるのですが、

この時に北山の他の豪族を仲間に引き込んで攀安知を孤立させています。

 

実は、攀安知は、祖父の代に北山の前の王を追い出して今帰仁城を乗っ取った

下剋上の人物で、北山の他の豪族は、この追放された王の末裔でした。

 

そこで尚巴志は、北山の豪族に先祖の仇討ちをさせる事を大義名分とし

自分はそれに手を貸すとしたのです。

 

※もちろん、尚巴志は、北山の前の城主とは縁もゆかりもありません。

 

 

こうして、今帰仁城を攻め落とした尚巴志は、前の北山王の末裔の

護佐丸(ごさまる)という武将を今帰仁城主に任命させて、

形上、仇を討たせたという体裁を取り繕ったのです。

 

 

いかがでしょう? こうして見ると、時代と社会は違っても、

借屍還魂が広く計略として使われているのが分かりますね。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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