東方明珠による補足:
忠義の人、関羽の有名なエピソードといえば、やはり「関羽千里行」です。
200年、下邳(かひ)城を守っていた関羽は曹操に生け捕りにされ
上にも下にも置かない丁重な扱いを受け、しきりに魏軍営に寝返らないかと勧誘をされます。
曹操の厚遇に対しても忠義心は揺るがない
関羽の、義兄弟劉備への忠義心は決して揺るぐものではありませんでした。
しかし、曹操の厚遇に対して関羽は非常に感謝をしていて、
恩義を返してから劉備のもとへ戻ろうと決意します。
ちょうどこのとき曹操は袁紹(えんしょう)との官渡の戦いの最中で、
関羽は曹操軍の客将として華々しい活躍をします。
そしていよいよ義理を果たした、と思ったところへ劉備の消息がつかめたので
関羽ははやる心を抑えられず、劉備のもとに駆け戻ります。
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赤兎馬で駆け巡る
このとき、曹操から贈られていた赤兎馬(せきとば)に乗っていきます。
赤兎馬は一日に千里を走るという稀代の名馬です。
これなら兄者のもとまで、一日でひとっ跳び! ですね。
しかしながら、通行手形を持たない関羽は
関所を通るたびに「ここは通さぬ!」と関守に阻まれます。
関羽は兄者に会いたい一心で、五つの関所で大暴れ。
関守たちをバッタバッタとなぎ倒して関所を破っていきます。
最後の関所を越えたあと、ついに関羽は黄河を渡りました。
きっと心はもう兄者のもとへ飛び去っていたことでしょう。
……と、ここまできて我に返りました。
関羽は、下邳城で劉備の夫人と共にとらわれていたのです。
この夫人は名前の記述がないために誰なのかはわかりません。
(4コマでは甘夫人・糜夫人にご登場をお願いしています)
曹操のもとから逃げる際、関羽は赤兎馬にまたがり、夫人は馬車に乗せたそうですが
赤兎馬の勢いに、馬車はついてこられたのでしょうか!?
そんな疑問から生まれた4コマでした。
以下、途中で取り残されてしまった夫人たちのボヤキです。
「仕方ないわね……、趙雲の単騎駆けを待ちましょう」
趙雲の単騎駆けって何?
趙雲の単騎駆けとは、時代が下ること8年
長坂の戦いにおいて、敵陣に取り残された夫人らを助けるために
趙雲が単騎で助けに来てくれるというエピソードです。
この4コマ漫画を書いた人:よりぶりん
■HN:
よりぶりん
■自己紹介:
イラスト担当のよりぶりんです、ご存じの方もそうでない方も名前だけでも覚えて帰って下さいね。
三国志初心者の新米イラストレーターでございます。
なにとぞ温かい目で見てやってください。宜しくお願い致します
■口癖:
「すいません」 とにかく謝ったら勝ちと思っている腰ぬけです
■集めている物:
漫画本「ワンピース・龍狼伝・浦安鉄筋家族」etc
■幸せを感じる瞬間:
麻雀の牌を触っている時!お風呂に入った時!
■尊敬する人:
麻雀を日本に伝えた人(誰かわからないですが・・・)
■どうしてもこれだけは譲れないもの:
コーヒーが飲めない環境!コーヒーが無いと凶暴になります。
■何か一言:
イラストのリクエスト御座いましたらお気軽どうぞ!
メッセージサイトに頂ければ全力で落書きさせて頂きます(笑)
よりぶりんでした。