劉備も茶を求めた?中国茶の歴史

2015年5月27日


張角 茶

 

緑茶や紅茶、ウーロン茶など、私たちにもなじみが深い中国由来のお茶には

長い歴史があります。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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お茶に関する最古の記録

 

前漢時代、蜀の文人である王褒(おうほう)が書いた「僮約(どうやく)」という

奴隷売買の契約書に、

最古のお茶に関する記述がみられます。

 

僮というのは「奴隷」のことで、

この奴隷になすべきことを記した契約書があるのです。

その仕事の中に、

「武陽で茶を買う」という記述がみられます。

 

蜀は三国志の劉備が拠点を置いた場所です。

劉備も王褒のように、茶を買いに走らせたのかもしれません。

 

ちなみに、この頃はまだ、民間に喫茶の風習はなく、

皇帝、貴族などの特権階級に限られていました。

 

 

唐代になると一般化

 

民間へ茶文化が浸透し始めたのは、唐時代(7~10世紀)です。

唐代には「茶聖(ちゃせい)」と称される人まで登場します。

現代語訳にしてみれば、「なんでも茶博士」のような感じでしょうか。

 

茶聖、陸羽(りくう)は『茶経(ちゃきょう)』というお茶の専門書を

書き残しています。

 

これを読むと、唐時代のお茶は、

「餅茶(へいちゃ)」といって、茶葉を固めたものを、

砕いて粉にして、それから煮出すという作り方でした。

 

 

茶葉の登場は宋代から

 

「散茶(さんちゃ)」という茶葉の形のお茶ができたのは

宋時代(10~13世紀)でした。

 

この時代にはすっかり中国茶は人々に馴染み、

町には喫茶店があふれ、

貴族たちの間でも、「闘茶(とうちゃ)」といって茶を当て合う遊びが

流行しました。

 

 

現代の中国で最も生産量が多いお茶は?

 

最も生産量が多いお茶は、なんだと思いますか?

紅茶でしょうか。

それとも、ウーロン茶でしょうか。ジャスミン茶でしょうか。

 

実は、最も飲まれているお茶は、緑茶なのだそうです。

 

 

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東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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