85話:曹操を油断させた潼関(どうかん)の大勝利

2015年5月28日


曹操50万の兵

 

赤壁で大敗した曹操(そうそう)は、国力の回復に心血を注ぎます。

そして、赤壁から3年後に、新興宗教の勢力である張魯(ちょうろ)の

支配地漢中に軍を派遣したのです。

 

この軍には、夏候淵(かこうえん)と鐘繇(しょうよう)という

二人の将軍がいましたが、この中の鐘繇は、張魯に近い、

西涼の馬超(ばちょう)や韓遂(かんすい)ら、関中の諸候に対して、

曹操に忠誠の証として、人質を送る事を曹操に提案しました。

 

前回記事:84話:龐統登場と同時に左遷(笑)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



漢中の武将はプライドが高い

三国志 プライド

 

それを知った関中の内政を担当していた衛覬(えいき)は、

 

「関中の武将はプライドが高く、人質を出せと命令すれば

独立を脅かされると思い離反する」

と曹操に人質反対の手紙を出します。

 

ところが曹操は、強権的な鐘繇の意見を採用し、

関中の諸候に人質を出す事を命じた為に、衛覬の危惧の通り

馬超と韓遂は同盟を結んで曹操に反旗を翻しました。

 

これを潼関の戦いと言います。

 

馬騰の息子は馬超

馬騰

 

馬超は、馬騰(ばとう)の長男で錦の馬超と呼ばれた美男子の武人

異民族の血が流れ、幼少の頃から馬に慣れていたので、

まさに人馬一体の豪傑でした。

 

また、韓遂も戦略眼に優れた天才で、二人は共同して、

騎馬隊を駆使して大軍の曹操軍に挑んだので、

曹操は、しばしば馬超の騎兵に追いまくられて、

敗走を余儀なくされる有様です。

 

曹操は、騎馬隊の突撃を避ける為に、甬(よう)道と言われる、

両側を土壁で覆った道路を造って戦線を移動し、

一時は、馬超、韓遂と停戦協定も結ぼうとしますが、

これはものわかれに終わりました。

膠着した戦線を打開したのは、軍師賈詡(かく)の離間の計略でした。

 

賈詡の離間の計略で馬超と韓遂の仲を裂く

賈詡

 

賈詡は、馬超と韓遂の仲を裂き、単細胞の馬超のみにすれば、

勝利は難しくないとして、以下のような計略を仕掛けます。

 

まず、曹操が韓遂に使者を立て、「二人で会って話したい」

という伝言を伝えます。

 

韓遂は、「何だろう」と曹操に会いにいくと、それは

こんな非常時に話すには他愛のない昔話でした。

 

そうしておいて賈詡は、今度は馬超に

「韓遂が曹操と話をしていた」という噂を撒きました。

 

馬超は不審に思い、韓遂に問いただすと、

 

「確かに曹操と話はしたが、他愛ない昔話しかしてはいない」

と弁解します。

 

馬超は、内心

(こんな非常時に他愛のない昔話を曹操がするものだろうか)

と疑いましたが、韓遂を信じて引きさがります。

 

それから数日後、韓遂の元に曹操から手紙が届きます。

 

ところが、手紙を開くと、それは、すべて墨で黒く

塗りつぶして判読不能な内容でした。

 

韓遂が首を捻っていると、そこに馬超がやってきます。

とっさに韓遂は、手紙を遠ざけてしまいます。

 

「今の手紙は何です?もしや曹操からの手紙ですか!」

 

馬超が凄い剣幕で寄ってくるので、韓遂は止むなく

手紙を見せると、それは墨で真っ黒です。

 

「これは、一体なんです! どうして墨で塗りつぶしたのです!」

 

「いや、違う!!これは最初から墨で塗りつぶしてあったのだ!」

 

韓遂は慌てて弁解しますが、もう馬超の顔からは猜疑心が消えません。

 

 馬超は韓遂が裏切るつもりだと疑う

馬超021

 

「最初から真っ黒?お戯れを、、この馬超を若年と思って、

馬鹿にしているのか!!」

 

「違うのだ、これは最初から塗りつぶされていたのだ!」

 

「そうか!ならば、手紙で曹操を呼びだしてみよ、

ワシが隙を見て斬ってやる、出来ないなら韓遂、貴様を斬る」

 

韓遂は、急いで、曹操に向けて手紙を書き、

期日を決めて会おうと知らせました。

 

当日、馬超は、韓遂のテントの脇に隠れて、曹操が来るのを待ちます。

 

ところが、現れたのは曹操ではなく曹洪でした。

 

「韓遂将軍、例の件は宜しく頼みましたぞ、、」

 

「な、なんの事だ、例の件とは??わ、私は何も知らんぞ」

 

韓遂は訳も分からず狼狽すると、曹洪は薄ら笑いを浮かべて

テントから出ていきました。

 

馬超は韓遂を切る

 

馬超は、殺気を孕んだ顔で韓遂のテントに入り込みます。

 

「この腐れ外道が、叩き殺してやる!!」

 

馬超は、もう弁解も聴かず、剣を抜き放ち、韓遂を斬ります。

韓遂は、左腕を斬り落とされますが、必死に逃げて、

曹操に降伏しました。

 

これにより、馬超の勢力は弱体化し、曹操軍の前に敗北。

 

翌年、馬超は曹操に抵抗をする

 

馬超は、翌年、再度、単独で兵を挙げて、涼州刺史韋康(いこう)を

殺して冀城を奪い、涼州守備軍の夏候淵を破るなど抵抗します。

 

しかし、韋康の部下の楊阜(ようふ)が巻き返して冀城を奪還すると、

拠点を失い、漢中の張魯に身を寄せました。

 

この潼関の戦いでの曹操軍の死者は1万人に上るという、

勝ったとはいえ、代償の高くついた勝利でした。

 

このような事情もあり、曹操は、更に積極的に、

劉備を討伐しようという意欲が起こりませんでした。

結局、張魯討伐は、215年まで引き延ばされます。

 

それが益州を攻略しようとする劉備を放置しておく事に繋がり、

結果として、劉備は、張魯を盾にしてまんまと益州を攻略します。

 

この潼関の戦いで一番得をしたのは、

漁夫の利を得た劉備(りゅうび)だったのかも知れません。

 

耳で聞いて覚える三国志

 

次回記事:86話:張松という男が劉備の運命を左右する 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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