墨家(ぼっか)が滅んだ理由と創設者 墨子はどんな思想だったの?


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諸子百家(しょしひゃっか)の中にあって博愛主義と侵略行為への反対を掲げ、

異彩を放った集団、墨家(ぼくか)

 

彼らは鉅子(きょし)と呼ばれる指導者のもと、強固な集団を形成し、

自らの理念を説くと共に侵略行為から民を守る防衛集団としても活動していました。

 

関連記事:戦う思想家集団 墨家(ぼくか)とは何者?


墨家の創始者 墨子(ぼくし)ってどんな人?

 

墨子は本名を墨翟といい、戦国時代に活動した思想家です。

正確な生没年は不詳ですが、

紀元前450年頃から390年頃までの間に活動していたとされています。

 

墨子の出自も不明とされていますが、身分卑しい家柄の出身ではなく、

それなりの家系の出と考えられています。

墨子は当初、儒学を学んでいたとされていますが、春秋戦国時代においては、

学問をすることができたのは上流階層の者に限られています。

 

その一方で、墨子はその『墨』という名前から、大工のような墨を使う職人であったとも、

あるいは刺青を入れられた囚人であったともされており、その正体は謎に包まれています。


墨子の著書 『墨子』はどんな思想?

 

墨子の著書とされる『墨子』は墨子本人の思想だけではなく、

その弟子たちの思想もまとめた書物で、弟子たちの手で編纂されたものと考えられています。

 

墨子の主な思想は万人の平等を訴える博愛主義である『兼愛』と、

侵略行為を否定する非戦論である『非攻』から成り立っていました。

 

身分制や領土拡大のための侵略行為を否定する墨子の思想は、

この時代の統治者たちにとっては受け入れがたいものであり、

著書である『墨子』にも、諸侯から疎まれていたことを示す記述を見出すことができます。

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代  

 

焚書坑儒によって滅ぼされた?

 

侵略行為を否定する一方、城と民を守る防衛任務のプロフェッショナル集団として

儒家と対抗するほどの一大勢力を誇った墨子でしたが、

秦の始皇帝による全土統一以降、忽然と歴史上の表舞台から姿を消してしまいました。

 

一説によれば、始皇帝が行った焚書坑儒(ふんしょ・こうじゅ)の際、

強固な武装集団でもあった墨家の人間たちは儒家よりも先に捕縛され、

一気に殲滅されてしまったとも言います。

 

関連記事:キングダムの時代に開花した法家の思想

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焚書坑儒(ふんしょ・こうじゅ)って何?

 

秦が中華統一を果たした際に丞相・李斯が専制支配を貫徹する為に提案した政策。

民間にあった医学・占術・農学意外の全ての書物を焼き (焚書)

翌年、始皇帝を非難する儒者 460人を咸陽で生埋めにした (坑儒) こと。

一種の思想弾圧事件。


何で墨子の思想が再評価されたの?

 

以後、墨家の思想は忘れ去られていましたが、中国に西洋文明が流入してきた清の時代以降、

その思想がキリスト教の教義に酷似していることから、

墨子は2000年以上の雌伏の時を経て再評価されることになります。

 

孟勝 集団自決を遂げた墨家三代目の指導者

 

集団としての墨家の特異性を示す事例として、

墨家の三代目指導者(鉅子)孟勝の時代に起こった集団自決事件を上げることができます。

 

紀元前381年、墨家の三代目指導者であった孟勝は侵攻してきた楚の軍勢と戦い、これに敗れました。

孟勝はこれを恥辱と考え、自らの命を絶とうします。

 

何で孟勝は負けただけで自決をしようと考えたの?

 

墨家の思想のひとつに『明鬼』というものがありました。

彼らは人間に、その善悪に応じて賞罰を与える鬼神の存在を信じ、

過ちを犯した者は罰せられると考えていました、

孟勝は城を守ると約束したにも関わらず敗北した自分は信用を失い、

その罪は死に値すると考えたのです。

 

自ら命を絶とうする孟勝に、

その弟子であった徐弱という人物が「あなたが死んでしまえば墨家は途絶えてしまう」

と諫めて制止しようとしましたが、

逆に孟勝に諭され、一緒に自決してしまいます。

孟勝と共に自決した墨家は実に400人に及んだと言われています。

 

墨家滅亡は集団自決だった?

 

始皇帝の時代に墨家が突然途絶えてしまった原因は集団自決であったとする説も存在します。

始皇帝の志向した政治は、墨家の思想とは相容れないものでした。

 

秦の統一を阻むことができなかった自分たち墨家は罰せられるべきであると彼らは考え、

最終的に集団自決しのではないか……

孟勝の主張と決断を考えると、それもありえない話ではないように思えます。

 

現代に言葉を残した墨家

 

現代でも用いられる言葉に『墨守』があります。

 

これは絶対に守りぬくという意味であり、その決意の現れでもあります。

そこには専守防衛のプロフェッショナル集団であった墨家の信念が込められているようにも思えます。

 

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