キングダム
麒麟がくる特集




はじめての三国志

menu

はじめての変

曹操、生涯最大の苦戦 白狼山の戦い|烏桓討伐編

曹操 船酔い

曹操(そうそう)は、率先垂範を旨として危険な戦場でも自ら飛び込んで、

部下に模範を示したので危ない目にあった事は数え切れない程あります。

 

しかし、自然の脅威というものに遭遇し、ここまで苦しめられた戦いは

この烏桓相手の戦い、白狼山の戦い(はくろうざんのたたかい)以外にはないでしょう。

 

 

 

烏桓(うかん)族って、どんな遊牧民?

烏桓

 

烏桓族は、紀元前1世紀から紀元後3世紀に掛けて、

現在のモンゴル自治区に居住していた遊牧民族です。

 

元々は勢力が小さく、強大な匈奴に臣従していましたが、

英雄が出現するに従い力を強めて独自の勢力になりました。

 

漢民族との関係は、敵対したり、臣従したりの繰り返しで

その時々の力関係により激変しています。

 

関連記事:三国志に出てくる鮮卑族ってどんな民族?

関連記事:鮮卑族と烏桓族の起源は?

 

袁紹に味方して公孫瓚を討つ烏桓族

photo credit: Zweiglein via photopin (license)

後漢の末になると、遼西烏桓に蹋頓(とうとん)という英雄が現れます。

 

当時、中国北方では、袁紹(えんしょう)公孫瓚(こうそんさん)

天下を争っていたので蹋頓は、袁紹に味方して自軍の騎兵3万騎を

袁紹に貸出し援助しました。

 

烏桓の騎兵は強力で、袁紹はその機動力をバックに

公孫瓚を易京に破り、ついに北方4州を統一します。

 

袁紹は蹋頓の支援を感謝し後漢朝廷の印授を偽造して

遊牧民の中の帝王の称号である単于(ぜんう)を贈ります。

さらに、家臣の娘を養女にして、烏桓の有力者に与えて、

婚姻関係を結んだので、遼西烏桓と袁家の関係は親密になりました。

 

関連記事:三国志演義と正史で大違い?劉備の恩人、公孫瓚

関連記事:宦官を容赦なく皆殺したカリスマ袁紹の過激なデビュー

関連記事: 公孫瓚特集:悔しかったら雨を降らせてみろ・その1

 

袁紹死す、後継者争いの末、袁尚と袁煕が烏桓を頼る

photo credit: Green & Gold via photopin (license)

やがて、強大になった袁紹は、官渡において曹操と天下分け目の

一大決戦を行いますが、大敗北を喫してしまい2年後に死にます。

 

その時、袁紹は、後継者を決めなかったので、長子の袁譚(えんたん)と

三男の袁尚(えんしょう)が後継者を争いました。

曹操は、二人の争いを静観して、疲れ果てた頃に軍事介入します。

 

袁譚は殺され、袁尚は、次男の袁煕(えんき)を頼ります。

袁煕は幽州太守でしたが、厄介者の袁尚を入れた事で、

地元豪族の反発を受け、離反が続出、進退極まった二人は、

幽州を捨てて、遼西烏桓の蹋頓を頼り落ちのびていくのです。

 

烏桓、袁尚、袁煕を匿う、その時曹操は・・

郭嘉

 

袁尚と袁煕が烏桓を頼ったと情報が入った時、曹操の陣営は

大半が様子を見るべきであるというものでした。

 

「烏桓は、袁家など応援する事はない!放置しておいても禍は起きない

むしろ、今、大軍を持って、烏桓征伐をしたら、

荊州の劉表(りょうひょう)を頼っている劉備(りゅうび)が

劉表を動かして、手薄になった許都を攻めるに違いなく

その方が、遥かに問題である」

 

ところが、1人、郭嘉(かくか)だけが

烏桓を征伐すべきであると主張します。

 

郭嘉は、烏桓と袁家の親密さを見抜いていた

郭嘉

 

郭嘉「烏桓は、かつて袁紹に味方して公孫瓚を討った時に、

袁紹から単于に封じられ、手厚い扱いを受けました

いかに彼等が野蛮人であっても恩義を忘れる事はありません

烏桓を放置する事は自分の背後に虎を放って置くのも同じです。

袁尚、袁煕は、我が軍の隙を突いて必ず河北を奪還しようとするでしょう」

郭嘉は、こう説明し、劉備に関しては、決断の鈍い劉表が、

劉備の提案を受け入れて、許都を攻める可能性は無いと断言します。

 

曹操は郭嘉の意見を採用して烏桓討伐を決意します。

 

関連記事:郭嘉(かくか)ってどんな人?|曹操が最も愛した人物

関連記事:郭嘉が断言した曹操が袁紹に勝つ10の理由

関連記事:曹操陣営に加わる前の郭嘉は何をしていたの?

 

曹操、烏桓討伐、それは苦しい戦いの始まりだった

曹操

 

曹操は烏桓の本拠地である柳城(現遼寧省朝陽市西南)に

向かって進軍を開始します。

戦いは長期に及ぶ事を予想し騎兵も歩兵も補給隊も大勢連れた進軍でした。

 

しかし、易県に辿りつき、ここを烏桓討伐の本拠地とすると、

軍師郭嘉は、曹操に進言します。

 

郭嘉:「兵は拙速を貴びます、このまま動きの遅い部隊を連れていては

烏桓めに、我が軍は攻めてきますと触れまわっているも同じ事、

ここは、足の速い騎兵だけを残し、補給隊は置いていきましょう」

 

曹操は補給が途絶えた恐怖を何度も経験していて躊躇しますが、

勝手の分からぬ土地、逸早く戦争を終えた方がいいという結論に達し

郭嘉の進言通りに軍を再編して、騎兵だけを選抜して出発します。

 

ところが、この時に補給を捨てた事が曹操軍に厳しい行軍を強いる事になります。

 

 

無終に到着した曹操軍、しかし道が無い・・

photo credit: GORGEOUS LIGHT via photopin (license)

 

曹操軍は軽快な騎兵数万で一気に、進軍を進めて無終という土地につきます。

そこには、漢民族の田疇(でんちゅう)という有力者がいいました。

彼は、以前に土地の人間を烏桓に殺されていて、曹操の烏桓討伐に協力します。

 

ですが、騎兵のみで来たにも関わらず、烏桓は曹操軍の襲来を知り、

主要な道路を全て封鎖していました。

 

おまけに、長雨が降り道はぬかるみ、数キロ歩くのも大変という

過酷な自然環境が曹操軍を襲います。

 

曹操は大変に困り、田疇に意見を求めると、

 

「命懸けではありますが、、今から二百年前に崩落を起して、

使われなくなった旧道があります、私が先導しますので、こちらを使いましょう」

といい、自ら、500の兵を率いて、先頭に立ちました。

 

曹操の生涯で最も過酷な行軍・・・

photo credit: Foggy Mountain via photopin (license)

 

曹操は行軍に当たり、立て札を各地に立てて、こう書いておきました。

 

「雨季に入り道がぬかるんで危ないので秋冬になるまでは行軍を取りやめる」

果たして、烏桓の斥候兵は、これを信用してすっかり油断します。

 

曹操軍は、ここから烏桓の本拠地、柳城に向け500里以上を行軍します。

それは、さながら行軍というよりは冒険旅行に近いものでした。

 

灤(らん)河の渓谷を越え盧龍塞(ろりゅうさい)(現、河北省遷西県西北)

を通過して、徐無山を登り、白檀(はくだん)(現、河北省灤平県東南、興州河南岸)

を通過して平岡(現、遼寧省凌源市西南)で東へと方向転換し鮮卑の地を渡ります。

 

この間の行軍は、寒さ、飢え、渇き、そして悪路との戦い、

どんよりと曇り一度も顔を見せない太陽というような自然の脅威との戦いでした。

後編に続く・・・

 

関連記事:曹操の詩の世界を体験してみよう

関連記事:郭嘉はどんな性格だったの?

 

三国志を彩どる異民族が満載!—

三国志vs異民族 バナー

 

 

こちらの記事もよく読まれています

植物 s

 

よく読まれてる記事:馬超や曹操と因縁が深い氐族(ていぞく)

 

ハイビスカス s

 

よく読まれてる記事:羌・鮮卑・烏桓だけではない!南の異民族を徹底紹介

 

photo credit: Evansville Museum 2 via photopin (license)

 

よく読まれてる記事:三国志に出てくる鮮卑族ってどんな民族?

 

 

この記事を書いた人:kawauso

kawauso

■自己紹介:

どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。

 

関連記事

  1. 曹丕 曹丕が早死の原因は呪術?それとも病気?曹丕の死因に迫る
  2. 歴史書によく出てくる「尚書」って何?女の尚書もいた!?
  3. 赤兎馬(せきとば)が活躍できたのは武霊王のおかげ
  4. 趙雲 五虎大将軍 趙雲の死因は何だったの?三国志一の美男子の最期
  5. 張飛の死後、一族はどうなったの?蜀の滅亡の転換点に立ち会っていた…
  6. 劉焉(りゅうえん)は何でド田舎の益州を選んだの?ちゃっかり独立を…
  7. 邪馬台国と魏軍の兵士 昔の日本は中国と比べるとかなり遅れてたらしいけど、漢代の頃はどん…
  8. 孫子の兵法 曹操 現代ビジネスマンの必携の書?兵法書『孫子』とその作者について

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 関羽に手紙を送る陸遜
  2. 蜀の魏延
  3. 三顧の礼 ゆるキャラ 孔明
  4. 寧宗
  5. 城 銅雀台
  6. 幕末 洋式軍隊の行進
  7. 三国夢幻演義バナー 龍の少年

おすすめ記事

  1. 【週間まとめ】はじめての三国志ニュース21記事【10/17〜10/23】
  2. 【祝】月間150万PV達成!はじめての三国志より感謝の言葉
  3. 後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?苦難に耐えて皇帝になる Part.2
  4. 山崎の戦いってどんな戦いだったの?明智光秀VS羽柴秀吉が激突した戦 豊臣秀吉 戦国時代
  5. 明智光秀が初陣?で籠城した田中城とは?米田文書は信用できる? 明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる
  6. 朝まで三国志2017 三国志の最強軍師は誰だ! 第5部 郭嘉の本

三國志雑学

  1. 騙し合う呂布と袁術
  2. 何晏
  3. 夏侯惇
“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報


著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. 明智光秀と煕子(麒麟がくる)
  2. 龐統
  3. 関帝廟 関羽
  4. 杜夫人

おすすめ記事

【お知らせ】新企画第3弾「はじめての九品官人法」をリリースします。 劉曄(りゅうよう)の進言に従っていれば魏の曹丕が天下統一をしていた? 徐晃は名将と呼べる将軍だったの?? 桂小五郎(木戸孝允) 桂小五郎(木戸孝允)剣豪から革命家、政治家に転身したイケメン志士 【キングダム】秦の六大将軍は史実でも存在するの? 袁術 「杞憂」の出典は『列子』意外に長くてちょっぴり哲学 【衝撃】秦の始皇帝陵は実は完成していなかった!壮大な地下宮殿と兵馬俑の謎 豊臣秀吉 戦国時代2 【センゴク】鳥取城の飢え殺しはどんな戦略だったの?兵士の死亡率を最小限に済ませる戦術とは?

はじさん企画

“if三国志" “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“邪馬台国"

“三国志人物事典"

PAGE TOP