命乞いでここまで堕ちるか?関羽に命乞いし全てを失った男・于禁

2015年7月20日


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関羽に命乞いし全てを失った男(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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于禁は関羽に命乞いをする

 

于禁と龐徳は関羽に捕えられますが、龐徳が断固として降伏を拒否して首を刎ねられたのに対して、于禁は何と命乞いをしてしまうのです。関羽は、于禁の卑屈な態度を「狗めが!!」と罵り、唾を吐きかけて軽蔑しますが、殺さずに助命しました。

 

于禁の命乞いが曹操の耳にも入る

 

于禁が命乞いをした事実は、曹操の耳に到達しました。曹操は、当初、信じられないという顔をし、それがいよいよ真実だと分かると、ため息をつきました。

 

曹操:「余が于禁を知って、三十年になるが、危機を前にしての覚悟が、新参の龐徳に及ばぬとは思いもしなかった・・」

 

そう、于禁は、曹操にまで軽蔑されてしまったのです。

 

于禁は呉に救われる

 

やがて、関羽は、呉の陸遜(りくそん)の計略に掛かり荊州を奪われて戦死します。于禁は捕虜となっていた所を呉に救われ丁重に扱われます。

 

呉の虞翻は于禁の罵倒する

 

ところが呉の虞翻(ぐほん)は、于禁を面と向かって恥知らずと罵り、呉の武将に悪影響があるから首を刎ねるべしと孫権に進言します。孫権は、笑って取りあいませんでしたが、于禁は虞翻を責めず、「全く、その通りである」と言っていたそうです。この頃には、関羽に命乞いした事を後悔していたのでしょう。

 

于禁は魏に帰ってきたが

 

やがて、魏に帰ると、曹操は死去していて、曹丕(そうひ)が皇帝に即位していました。たった、数年で于禁は、痩せ衰え、髪は白髪になり、昔日の威厳のある姿は、どこにもありませんでした。

 

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于禁の最後

 

曹丕は、表面上は、于禁を慰めますが、内心では嘲笑っており、陰では、于禁に恥をかかせたので、于禁は絶望と悔しさの中で急死します。西暦221年の事であると伝わっています。前半生は、輝かしい武勲を立てながら、たった1回の命乞いで、全てを失った于禁を見ていると名声は割に合わないなと思います。三国志の中には、1回どころか数え切れない裏切りをして、それでも人生を全うしたズルイヤツは幾らでもいますからね。もう少し割り切って、関羽の前で堂々と「勝敗は兵家の常、今後は蜀の為に、我が身を役立てたい」とさばさばしていれば、また人生は違ったかもしれないのにね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。

 

魏のマイナー武将列伝

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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