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この記事の目次
于禁は関羽に命乞いをする
于禁と龐徳は関羽に捕えられますが、龐徳が断固として降伏を拒否して首を刎ねられたのに対して、于禁は何と命乞いをしてしまうのです。関羽は、于禁の卑屈な態度を「狗めが!!」と罵り、唾を吐きかけて軽蔑しますが、殺さずに助命しました。
于禁の命乞いが曹操の耳にも入る
于禁が命乞いをした事実は、曹操の耳に到達しました。曹操は、当初、信じられないという顔をし、それがいよいよ真実だと分かると、ため息をつきました。
曹操:「余が于禁を知って、三十年になるが、危機を前にしての覚悟が、新参の龐徳に及ばぬとは思いもしなかった・・」
そう、于禁は、曹操にまで軽蔑されてしまったのです。
于禁は呉に救われる
やがて、関羽は、呉の陸遜(りくそん)の計略に掛かり荊州を奪われて戦死します。于禁は捕虜となっていた所を呉に救われ丁重に扱われます。
呉の虞翻は于禁の罵倒する
ところが呉の虞翻(ぐほん)は、于禁を面と向かって恥知らずと罵り、呉の武将に悪影響があるから首を刎ねるべしと孫権に進言します。孫権は、笑って取りあいませんでしたが、于禁は虞翻を責めず、「全く、その通りである」と言っていたそうです。この頃には、関羽に命乞いした事を後悔していたのでしょう。
于禁は魏に帰ってきたが
やがて、魏に帰ると、曹操は死去していて、曹丕(そうひ)が皇帝に即位していました。たった、数年で于禁は、痩せ衰え、髪は白髪になり、昔日の威厳のある姿は、どこにもありませんでした。
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于禁の最後
曹丕は、表面上は、于禁を慰めますが、内心では嘲笑っており、陰では、于禁に恥をかかせたので、于禁は絶望と悔しさの中で急死します。西暦221年の事であると伝わっています。前半生は、輝かしい武勲を立てながら、たった1回の命乞いで、全てを失った于禁を見ていると名声は割に合わないなと思います。三国志の中には、1回どころか数え切れない裏切りをして、それでも人生を全うしたズルイヤツは幾らでもいますからね。もう少し割り切って、関羽の前で堂々と「勝敗は兵家の常、今後は蜀の為に、我が身を役立てたい」とさばさばしていれば、また人生は違ったかもしれないのにね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。