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この記事の目次
楚の春申君、魏、韓、趙、燕の五カ国連合軍を率いて秦を攻める
紀元前247年、秦では、荘襄王(そうじょうおう)が死去して、秦王政が13歳で即位します。政の後見人には丞相の呂不偉がつき、秦の領土を拡張させる事になります。
強大化する秦に危機感を持った、楚の春申君は五カ国に謀り、紀元前241年、五カ国の合従軍を組織して秦に攻め込みます。これを蕞(さい)の戦いといいます、漫画キングダムでも出てきます。
趙将龐煖(ほうけん)が参加したとされる、この戦いですが、秦の強さに対して五カ国連合軍は、士気が低く一撃で崩れたとあります。漫画キングダムでは、大変な厳しい戦のように描かれていますが、実際には秦の強さの前に合従軍は歯が立たなかったようです。
合従軍は、春申君が興したこれが最後になります。以後は秦の天下統一まで六カ国は、連合して戦う事はありませんでした。そして、春申君は敗戦により、楚の孝烈王の信頼を損ねる事になります。
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春申君、李園(りえん)の陰謀に乗る
春申君には三千名と言われる食客がいましたが、その中に李園という男がいました。この李園は全くの無能ですが、妹が大変な美人なので春申君は妹を妾にし、李園も食客にしていたのです。
李園は、いずれ妹を孝烈王の妃にして出世しようとしていましたが、その前に妹は春申君の子供を妊娠してしまいます。
それを知った李園はがっかりしますが、直ぐに悪知恵を働かします。
「妹を孝烈王に献上して下さい、そうすれば、あなたの子が次の王です」
と春申君を唆したのです。
春申君はよせばいいのに、この陰謀に乗り李園の妹を孝烈王に献上します。李園の妹は美しさから王妃になり李園も出世します。しかし、李園は出世すると「いつか、春申君が秘密をばらすのではないか」と不安になりこれを殺そうと考えるようになりました。
当に断ずべくして断ぜざれば、返りて其の乱を招く
春申君の食客の朱英(しゅえい)は、春申君に李園を侮らず早期に殺すように
何度も進言します。
「決断すべき時に決断しなければ、返って禍を招きますぞ」
しかし、李園を見くびっている春申君は笑うばかりで聞き入れませんでした。恐ろしくなった朱英は、いつの間にか春申君の側を去ります。紀元前238年、孝烈王が死にます、春申君は何も考えずに、葬儀に向かおうと城に入ると、そこには李園の刺客が待ち受けていました。春申君は殺されてバラバラに刻まれ、首は城の外に捨てられました。そして、春申君の一族も李園の手により全て粛清されたのです。
春秋戦国ライターkawusoの独り言
楚の春申君は、他の三名の君と違い、出自は王族ではない成り上がりものです。それでも大胆で根性の座った対応で孝烈王の信望を得て出世しました。ただ、その成り上がり者らしい、出世欲の強さと生来の大胆さが自分の子を妊娠した妾を王に献上するなど、禍を招く行動を起し、しかも、敵を侮る心が産まれて、処断出来ず最後には首を城外に捨てられるという惨めな末路を造り出しました。
孝烈王に献上された李園の娘は、春申君の息子を妊娠していないという説もありますが、いずれにせよ、そのような噂があるのは事実で李園を小物と侮ったのが災いを呼び寄せたのは事実でしょう。
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