春申君(しゅんしんくん)とは楚の出身で本名を黄歇(こう・あつ)と言います。
傾いた楚の勢力を立てなおす事に貢献し、斉の孟嘗君(もうしょうくん)魏の信陵君(しんりょうくん)等と共に戦国四君と呼ばれています。キングダムでも登場した、このイケメンの公子の人生を簡単に説明します。
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この記事の目次
春申君、紀元前274年に登場
楚の春申君の名前が最初に出るのは、紀元前274年、秦は始皇帝の曾祖父、昭襄王(しょうじょうおう)の時代です。この頃、秦は魏や韓を従えて南の楚を攻めようとしていました。
楚の使者としてやってきた春申君は、秦王に対して、
「楚と秦が戦って疲弊すれば喜ぶのは、誰でしょう?
従えている魏と韓ではありませんか?お互いに国力をすり減らし、弱小国に利を与えるのは得策ではありません」
と秦王に主張します、秦王は成程と頷き、楚と和平を考えます。
紀元前264年、楚王が死没して後継者争いが・・
楚は、和睦の証として、太子の完(かん)を秦に送り込み、春申君は、その侍従として秦に残ります。
しかし、それから10年後、楚では傾襄王(けいじょうおう)が死去してしまいます。本来なら太子の完が即位するはずですが、秦の人質である為に帰国できず、このままでは別の公子が即位する可能性がありました。
焦った完は、春申君に何とかするように頼みます。そこで、春申君は、宰相の范雎(はんしょ)に太子完を帰国させて欲しい依頼しました。
春申君、自分を身代りに太子完を逃がす
范雎から話を聞いた秦王ですが、楚が嘘をついているのではないか?
と疑い、まず春申君を楚に返して見舞いをさせよと命じます。
すると、春申君は完に自分の着物を着せて馬車に乗せ、自分は完の服を着て当人に成りすまし、まんまと秦から逃がす事に成功しました。もちろん秦王は騙されたと知って激怒し、春申君を殺そうとしますが、范雎が必死でとりなしたので死を免れます。
それから3カ月の後、楚に帰った完は無事に即位して孝烈王(こうれつおう)になります。春申君は帰国して、この手柄で淮北(わいほく)の12県を褒美にもらい公子の扱いを受けて、春申君と呼ばれるようになるのです。
紀元前258年、春申君、魏の信陵君と共に趙の平原君を救援する
紀元前、258年、秦は趙の都、邯鄲(かんたん)を包囲します。それより少し前に、秦は名将、白起(はくき)が趙軍40万を穴埋めして殺し大勝利を収めていました。
しかし、白起の大勝利に恐怖心を抱いた范雎が、秦王に白起を讒言したので、白起は、邯鄲の包囲には参加していませんでした。
その為に秦の攻めは精彩を欠き、趙の平原君(へいげんくん)は楚に援軍を求めます。当時、楚の令尹(れいいん:宰相)になっていた春申君は自ら軍を率いて趙に援軍に向かい魏の信陵君、趙の平原君と共に、秦軍を退却させる事に成功しました。
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