漢の時代は、儒教を国教とした時代です、儒教自体は中国の民俗と混合して
大昔からありましたが、それを体系づけて学問として発展させたのは、
中国でもっとも偉大な思想家として位置づけられた孔子(紀元前552~479)でした。
この儒教のエッセンスは、論語という書物にまとめられ、三国志の時代の
人々にも大きな影響を与えています。
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この記事の目次
孔子(こうし)ってどんな人?
孔子と言いますが、孔子いうのは敬称で本名ではありません。
子というのは先生と言う意味でこれだと孔先生という意味になります。
同じく、孫子や呉子も同じで、孫先生、呉先生という事です。
孔子は、名を孔丘(こうきゅう)字を仲尼(ちゅうじ)と言います。
中国の春秋時代に生まれた魯の人です。
孔丘は元々、低い身分でしたが現実の政治に関わり
世の中を変えようという野心を持っていました。
念願は叶い、50歳を超えてから故郷の魯の大司寇(だいしこう:司法長官)として
手腕を奮いますが、孔丘の考える理想主義的な政治は弱肉強食の
春秋時代に適応せずやがて失脚を余議なくされます。
失意の孔丘は方針を転換、儒教を論理的に体系化し、弟子を育て導き
いつか平和な社会が来た時に儒教が役立てられる事を願ったのです。
孔丘は紀元前479年に73歳で死去します。
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孔子が説いた思想とは?
孔子の説いた儒教で最も大切なものは仁と礼です。
仁というのは、人類愛であり、礼とは社会規範を意味しています。
人間、愛ばかりでは、それは時に偏ってしまいエゴになってしまうので、
孔子は、これに礼という社会規範を加えて車の両輪にしました。
仁の範囲は、社会規範の範囲という事になり、また、社会規範だけでは
冷たくなり杓子定規になるので、情愛としての仁を補ったのです。
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人間として生きていく5つのポイント 仁、義、礼、孝、忠
もっとも、仁と言われても、あまりに漠然としているので、
どうしていいか、分からなくなるかも知れません。
そこで孔子は、人間として生きていく時に当然、踏まないと
いけない手順として、5つの徳目を重要視しました。
仁・・・・他者への思いやりや優しさ
義・・・・不正を許さず、恐れずに正しい事を行う
礼・・・・世間一般のマナーやルールを重んじる
孝・・・・親を大事にする心
忠・・・・主君に対する忠誠心
この中でも、孔子は仁と義を特に重んじています。
他者への思いやりと社会悪に染まらずに、正しい事を行う。
これが出来れば、間違った道に進む事はないというのです。
論語とは、孔子と弟子達の問答集
しかし、5つの徳目を設定しても、TPOによって、
どの徳目を優先すればいいのか?という判断は変化してゆきます。
そこで、実際に起きた事象において、どう判断すればいいのか?
を弟子が孔子に尋ねたのが、論語という書物です。
論語は、孔子が書いたものではなく、孔子の弟子や孫弟子が、
孔子の言葉や問答集をまとめて本にしたものです。
上から目線ではなく、テキストも短文が多いので、儒教の入門書としては
読みやすく、中国では宋の時代に入ってから、儒教と言えば、
論語と言うほどにメジャーになりました。
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