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弟子が孔子に質問 親孝行ってなーに?
例えば、論語には孔子の弟子の子游(しゆう)が親孝行とは何ですか?
と聞く場面があります、そこで、孔子はこのように解答しました。
「親に敬意をもって接するのが親孝行である。
ただ、生活の面倒を見ているだけなら牛や馬にもやっている事だ。
心を込めて親を敬う事こそが親孝行である」
ここには、心がこもらない形だけの親孝行を戒める意味が含まれています。
忙しいとか、面倒臭いに逃げて形ばかりの孝行をしても、それは、
牛や馬の世話をしているのと変わらないと孔子は言うのです。
論語に描かれた孔子の一生の計画表
論語の為政(いせい)には、孔子の人生プランを端的に書いた記述があります。
私は十五歳にして学問をする志を立て、三十にして学問の基礎を体得して自立し、
四十にして心の迷いが消え、五十にして天が私に与えた使命を知り、
六十にして人が言う事を何でも理解できるようになった。
七十になると、思いのままに振舞いながら礼義に外れるような事は
しなくなるようになった。
この孔子の人生のプロセスは、儒教を学ぶ人々の人生の指針になりました。
それで考えると、孔明(こうめい)が劉備(りゅうび)に従い庵を出た27歳も、郭嘉(かくか)が曹操(そうそう)に仕えた
27歳も、姜維(きょうい)が孔明に投降した27歳も、三十を目前にして、
或る程度、学問の基礎を完成させたから、という事かも知れません。
三国志の主人公達も、論語を実践した
三国志の主人公達は、その殆どが儒教を学んだ人々です。
ですから、物語を見ていくと、例えば劉備は仁を実践して民を大事にし
孔明は、義と礼を重んじて、刑罰を厳しくしつつも、正しい判断を
降せるように努力をし蜀の民に慕われました。
忠は、関羽(かんう)をはじめとして、孔明も、龐徳も関羽も多くの名将と
呼ばれる人々が持っている特徴です。
孝は父を殺された曹操の陶謙への激しい復讐心や、曹操を救い、
自らは殺されてしまった曹昂にも当てはまります。
三国志の英傑達の行動規範には、ちゃんと、仁義礼孝忠の五徳が
息づいていたのです。
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三国志ライターkawusoの独り言
孔子は礼を知らない人間は野生動物と同じであると説きます。
いくら強くても有能でも、他人などどうなってもいい、自分さえよければいい
ルールなんか守らないぞという人間は獣であると断言するのです。
自己責任や、弱肉強食が当然とされる現代において論語は流行らないかも
知れませんが、その中にある響きに心を捕らわれるのは、私達が、
動物というには余りにも弱い、他人無しには生きられない存在だからでしょう。
孔子が体系化した儒教は、乱世では顧みられなくても、世の中が治まった
漢の時代になると、人間社会を円滑に進めるテキストとして注目されます。
そればかりではなく、儒教の精神は東アジア全体に波及して人間社会の規範として
機能しつづけてゆくのです。
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