三国志の人々の精神に影響を与えた論語(ろんご)って何?

2015年11月5日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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弟子が孔子に質問 親孝行ってなーに?

 

親孝行ってなーに?

 

例えば、論語には孔子の弟子の子游(しゆう)が親孝行とは何ですか?

と聞く場面があります、そこで、孔子はこのように解答しました。

 

「親に敬意をもって接するのが親孝行である。

ただ、生活の面倒を見ているだけなら牛や馬にもやっている事だ。

心を込めて親を敬う事こそが親孝行である」

 

ここには、心がこもらない形だけの親孝行を戒める意味が含まれています。

忙しいとか、面倒臭いに逃げて形ばかりの孝行をしても、それは、

牛や馬の世話をしているのと変わらないと孔子は言うのです。

 

 

論語に描かれた孔子の一生の計画表

論語に描かれた孔子の一生の計画表

 

論語の為政(いせい)には、孔子の人生プランを端的に書いた記述があります。

 

私は十五歳にして学問をする志を立て、三十にして学問の基礎を体得して自立し、

四十にして心の迷いが消え、五十にして天が私に与えた使命を知り、

六十にして人が言う事を何でも理解できるようになった。

七十になると、思いのままに振舞いながら礼義に外れるような事は

しなくなるようになった。

 

劉備孔明と出会う?

 

この孔子の人生のプロセスは、儒教を学ぶ人々の人生の指針になりました。

それで考えると、孔明(こうめい)劉備(りゅうび)に従い庵を出た27歳も、郭嘉(かくか)曹操(そうそう)に仕えた

27歳も、姜維(きょうい)が孔明に投降した27歳も、三十を目前にして、

或る程度、学問の基礎を完成させたから、という事かも知れません。

 

 

 

三国志の主人公達も、論語を実践した

関羽神様

 

三国志の主人公達は、その殆どが儒教を学んだ人々です。

ですから、物語を見ていくと、例えば劉備は仁を実践して民を大事にし

孔明は、義と礼を重んじて、刑罰を厳しくしつつも、正しい判断を

降せるように努力をし蜀の民に慕われました。

 

忠は、関羽(かんう)をはじめとして、孔明も、龐徳も関羽も多くの名将と

呼ばれる人々が持っている特徴です。

 

孝は父を殺された曹操の陶謙への激しい復讐心や、曹操を救い、

自らは殺されてしまった曹昂にも当てはまります。

 

三国志の英傑達の行動規範には、ちゃんと、仁義礼孝忠の五徳が

息づいていたのです。

 

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三国志ライターkawusoの独り言

kawauso 三国志

 

孔子は礼を知らない人間は野生動物と同じであると説きます。

いくら強くても有能でも、他人などどうなってもいい、自分さえよければいい

ルールなんか守らないぞという人間は獣であると断言するのです。

 

自己責任や、弱肉強食が当然とされる現代において論語は流行らないかも

知れませんが、その中にある響きに心を捕らわれるのは、私達が、

動物というには余りにも弱い、他人無しには生きられない存在だからでしょう。

 

孔子が体系化した儒教は、乱世では顧みられなくても、世の中が治まった

漢の時代になると、人間社会を円滑に進めるテキストとして注目されます。

そればかりではなく、儒教の精神は東アジア全体に波及して人間社会の規範として

機能しつづけてゆくのです。

 

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孔門十哲

 

 

 

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